ピンク・フロイドやソフト・マシーン、そしてイエスのメンバーといった、かつてサイケデリックな要素を取り入れたイギリスの多くのミュージシャンやバンドは、1970年代に入るとプログレッシブ・ロックという新領域の形成に移行していった。キング・クリムゾンのアルバム『クリムゾン・キングの宮殿』(1969年)は、サイケデリック・ロックからプログレッシブ・ロックへの移行期を象徴する記念碑的な作品として知られている[44]。ホークウインドといったバンドは1970年代にサイケデリック・ミュージックの要素を取り入れたが、多くはより幅広い実験の中で、サイケデリックの要素を捨てていった[45]。クラフトワーク、タンジェリン・ドリーム、カン、ファウストといったバンドは、自身の根本からサイケデリックな要素をそぎ落とし、電子楽器の使用に特化した結果、kosmische musikとして知られるエレクトロニックロック、つまりイギリスの雑誌で言われるところの「クラウトロック」というジャンルを確立していった[46]。ポポル・ヴーが1970年にシンセサイザーを使い出して以来、シンセサイザーの導入は、ブライアン・イーノ(彼は一時期ロキシー・ミュージックでキーボードを弾いていた)の活躍もあって、シンセロック(synth rock)という新たなジャンルの開拓に一役買った[47]。カンやソフト・マシーンがジャズの要素を導入したことにより、コロシアムといったジャズ・ロック・バンドが結成された[48]。
サイケデリック・ロックにおけるディストーションのきいたギターのサウンドや、ソロの強調、大胆な構成といった要素は、ブルース起源のロックからのちのヘヴィメタルにつながる重要な架け橋とされている。かつてヤードバーズに所属していたギタリストのジェフ・ベックとジミー・ペイジはジャンルを移動し、それぞれジェフ・ベック・グループとレッド・ツェッペリンを立ち上げた[49]。他にブルース起源のサイケデリック・ロックバンドからジャンルを開拓していったバンドにブラック・サバス、ディープ・パープル、ジューダス・プリースト、UFOがある[49][50]。
サイケデリック・ミュージックはグラムロックの誕生にも影響を与えた。マーク・ボランは自身のサイケデリック・フォーク・デュオをT・レックスに発展させ、1970年から世界初のグラム・ロックのスターとしてブレイクした[51]。1971年からは、デヴィッド・ボウイがサイケデリックなサウンドから転向してジギー・スターダストという別人格を打ち出し、プロとしての性質やパフォーマンスを自分のものにしていった[52]。
1970年代にバブルガム・ポップが成長し大規模なものになったことで、ポップス業界におけるサイケデリック・ミュージックの影響は少し長く続いた[21]。同じことはサイケデリック・ソウルにもあてはまり、このジャンルも1970年代に入っても衰退せず、ファンクと結びつきディスコへと発展していった[31]。
サイケデリック・ヒップホップ「オルタナティブ・ヒップホップ」も参照サイケデリック・ヒップホップの開拓者 デ・ラ・ソウル
デ・ラ・ソウルのデビュー作『3・フィート・ハイ&ライジング(英語版)』(1989年)やビースティ・ボーイズの『ポールズ・ブティック(英語版)』といった1980年代末に発表されたアルバムはサイケデリック・ヒップホップの幕開けとも呼べるもので、ザ・モンキーズやピンク・フロイドといったアーティストの楽曲をサンプリングするなど他のアーティストに影響を及ぼした。1990年代、サイケデリック・ミュージックトラップを掛け合わせようという実験が行われた。その結果ヒップホップにおいてサンプリングは常套手段として使われ、サンプリングという手法はドクター・ドレやアイス・キューブとその甥であるデル・ザ・ファンキー・ホモサピエン(英語版)、スヌープ・ドッグ、Terminator X、The Pharcydeなど多数のミュージシャンがジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンスやパーラメント-ファンカデリックといったサイケデリック・ミュージックの楽曲をサンプリングするようになった。