最初にサイケデリックという言葉が音楽の方面で用いられたのは、1964年にニューヨークを拠点に活動するフォークグループThe Holy Modal Roundersが、レッドベリーの「ためらいのブルース」(Hesitation Blues)のカバーを発表したときだった[15]。1960年代半ばの時点でサイケデリック・ミュージックは急速にアメリカ西海岸と東海岸のビート・フォーク・シーンに広まった[16]。サンフランシスコからはカレイドスコープ、イッツ・ア・ビューティフル・デイ、ピーナッツ・バター・コンスピラシー、H. P. ラブクラフトといったミュージシャンやバンドが登場し[16]、ニューヨーク市の グリニッジ・ヴィレッジからはジェイク&ザ・ファミリー・ジュエルズや キャットマザー&ザ・オールナイト・ニュースボーイズ[16]が、そしてフロリダからはパールズ・ビフォア・スワインが登場した。1965年にバーズがフォークロックに転向したのをきっかけに、多くのサイケデリック・バンドがそれに続き、その結果グレイトフル・デッド、ジェファーソン・エアプレイン、キャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンド、カントリー・ジョー・アンド・ザ・フィッシュ、The Great Society、クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスといったバンドが生まれた[17]。
1960年代半ば、ブリティッシュ・インヴェイジョンの結果の一つとして、この流行はアメリカとイギリスのフォークロックシーンやロックシーンの一環として広まった。1964年から、デイヴィ・グレアムやバート・ヤンシュの作品にはブルースやジャズやドラッグ、東洋思想が織り込まれ[18]。フォークミュージシャンの中には、ボブ・ディランといったアメリカのアーティストとフラワーパワー(flower power)を結びつけたスコットランドのドノヴァンのように目立った人物がいた。そして1967年から、インクレディブル・ストリング・バンドは西洋の楽器と東洋の思想を組み合わせ、様々な要素を取り入れたアコースティック音楽を展開し[19][20]。
サイケデリック・ロック詳細は「サイケデリック・ロック」を参照
サイケデリック・ロックは1960年代にロック・ミュージックと電子音楽と東洋からの影響などが合わさったロック・アンド・ロールムーヴメントの余波として成長した。大麻やメスカリン、LSDなどの幻覚剤といったドラッグを服用して得られた閃きによって、サイケデリック・ロックは伝統的なロック・ミュージックを打ち壊し、サイケデリック・メタルや実験的なロックのジャンルの根源になった。アメリカ合衆国では13thフロア・エレベーターズという、グレイトフル・デッドやジェファーソン・エアプレイン等に代表されるジャンルとつながりを持つ『サイケデリック』という言葉が使われた最初のバンドが現れた。1965年から1967年にかけて、ビートルズも「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」や「トゥモロー・ネバー・ノウズ」等といったサイケデリック・ロックの楽曲を制作したが、厳密にサイケデリック・ロックとして分類されなかった。クリームと、ピンク・フロイドとその創設者シド・バレットはサイケデリック・ミュージックを受け入れ、初めて真のサイケデリック・バンドになった。ひとつの歌を制作することだけに集中し、「サイケデリックな」影響の元、実験的なレコーディングを行い、超現実的な音楽を作り上げるミュージシャンもいる。この過程を示す作品としてカントリー・ジョー・アンド・ザ・フィッシュが1966年に制作した『Bass Strings』は、荒削りなジャグ・バンドに影響された様式への対抗作として、陽気でテンポの速い攻撃的なものとなった。1967年、商業的なヒットを狙いそうなものから、LSDの影響を受けてつくられた実験的な音楽に生まれ変わった。『Bass Strings』において、より遅いテンポに遅らせたボーカル、反響の追加、逆再生した状態で収録したシンバル、電子オルガン、砂漠を旅する内容の歌詞、延々と続くようなブルース・ギターのソロを合わせた結果サイケデリックな曲が生まれ、カントリー・ジョー・アンド・ザ・フィッシュのファースト・アルバム『Electric Music for the Mind and Body』もそのようになった。ジェファーソン・エアプレインのウェブサイトには「(アルバム)『After Bathing at Baxter's』はサイケデリックな実験がどのような音楽を生み出し、どのように内側から感じさせるのか、その感覚を掴みたくて作った」とある。ジミ・ヘンドリックスもまた、自分のギターと才能でサイケデリックで実験的な音楽を生み出してきた。
サイケデリック・ポップ詳細は「en:Psychedelic pop」を参照イギリスにおける最初のサイケデリック・ポップ・スター、ドノヴァン。写真は2007年のもの
ビートルズのお蔭もあって、サイケデリックという要素はメインストリームおよび商業音楽界に広まり、ポップス業界がサイケデリック・ミュージックの影響を受け始め、ヒッピーファッションとともに、シタールやディストーションのかかったギターのサウンド、テープによるエフェクトが導入された[21]。ザ・ビーチ・ボーイズのヒットシングル「グッド・ヴァイブレーション」はタンネリン(Tannerin、テルミンを扱いやすくした楽器)が使われており、サイケデリックな歌詞とサウンドをポップスに持ち込んだ歌の一つとされている[22][23]。この流行に乗ったアメリカのポップスバンドには、エレクトリック・プルーンズ(Electric Prunes)、ストロベリー・アラーム・クロック(Strawberry Alarm Clock)、ブルース・マグースなどがいる[24]。また、サイケデリックなサウンドは モンキーズやレモン・パイパーズ( The Lemon Pipers)といった初期のバブルガム・ポップ(Bubblegum pop)のバンドやミュージシャンに見受けられた[25]。