日本では過去には「科学小説」「空想科学小説」「幻想科学小説」「未来科学小説」などの呼称もあり、この中でも「科学小説」は戦前、「空想科学小説」は戦後の一時期に広く使用されたが、1970年代頃以降は「SF(エスエフ)」が普及した。 サイエンス・フィクションの定義は、幅広いサブジャンルとテーマを含むために困難である。デーモン・ナイトはその困難さを「サイエンス・フィクションは、その時にそう呼ばれたもの」と述べた。ウラジーミル・ナボコフは、仮に厳格な定義をするならば、シェイクスピアのテンペストはサイエンス・フィクションに違いないだろうと述べた[9]。 ロバート・A・ハインラインは、「読むことのできる大半のサイエンス・フィクションの手軽で簡潔な定義は、過去や現在の現実社会や、科学的手法の性質と重要性の十分な知識に基づいた、可能な未来の出来事に関する現実的な推測」と述べた[10]。ロッド・サーリングは「ファンタジーは不可能な事を起こりそうに描いたもの、サイエンス・フィクションは起こりそうも無い事を起こりそうに描いたもの」と述べた[11]。アイザック・アシモフは著作で、単に宇宙船や宇宙人が登場するのがサイエンス・フィクションではなく、価値観の転倒による驚き、すなわちセンス・オブ・ワンダーが必要と述べた。 長山靖生は、SFの成立は「新しくて古い。遡ればどこまでも古く、人類の想像力の始まりの地点」までも遡れるとし、「オデュッセイアや聖書、日本なら古事記や竹取物語をSFとして読む」ことも可能とした上で、このジャンルを厳正に定める者は1920年代(ヒューゴー・ガーンズバックがSF専門誌アメージング・ストーリーズを発行した時期)を成立とするのが常例とした[12]。 大森望は、SFの指標として「科学的論理を基盤にしている。また、たとえ異星や異世界や超未来が舞台であっても、どこかで「現実」と繋がっている(ホラー、ファンタジーとの区別)」「現実の日常ではぜったいに起きないようなことが起きる(ミステリとの区別)」「読者の常識を覆す独自の発想がある(センス・オブ・ワンダーまたは認識的異化作用)」「既存の(擬似)科学的なガジェットまたはアイデア(宇宙人、宇宙船、ロボット、超能力、タイムトラベルなど)が作中に登場する(ジャンル的なお約束)」の四つをあげている。[13] 超自然現象を扱った作品は「スーパーナチュラル この節には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2012年7月) 最初のSF作家として普通認知されているのは、ジュール・ヴェルヌもしくはH・G・ウェルズである。しかしそれ以前にもSFではないがSF的な文学は存在した。おそらく最古のSF的小説は、2世紀に古代ギリシアの作家ルキアノスの書いた『本当の話』と『イカロメニッパス』であろう。[14]『イカロメニッパス』では、主人公のメニッパスが両手に翼をつけてオリュンポス山の上からイカロスのように(イカロ)飛び立って月の世界に行き、そこで月の哲学者と会う。そしてかれに、目を千里眼にしてもらって地上を見て、世界の小ささを実感する。日本の竹取物語(平安時代)は月から人が来る設定であり、浦島太郎(室町時代)では時間の流れの歪みが描かれている。8世紀のアラビアンナイトにもSF的なストーリーが含まれる。14世紀にダンテ・アリギエーリによって書かれた『神曲』も、当時の科学的知見が盛り込まれ、天国篇では、主人公ダンテが天動説宇宙に基づいて構想された天界を遍歴し、恒星天の上にまで昇っていくストーリーである。 神話まで遡ると、エジプト神話ではすでに月や太陽の神などが登場する。ギリシア神話の月の女神や太陽の神など天界の神々はチャリオット(戦闘用馬車)に乗って天上世界(宇宙)を自在に行き来するとされる。
定義
歴史
創世以前のSF