サイエンス・フィクション
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一方でSF作家が他分野へ進出するようになり、筒井康隆が「SFの浸透と拡散」と表現した日本SFの変質の始まりでもあった[33]

また、この年代を中心に眉村卓・光瀬龍・福島正実らが小学生・中学生・高校生向けのジュブナイルの分野を推し進め、映画テレビドラマ漫画化される作品を生み出し学生向けSFの分野を確立した。

奇想天外』(1974年創刊)、『SFアドベンチャー』(1979年創刊)、『SF宝石』(1979年創刊)、『SFの本』(1982年創刊)などのSF雑誌が相次いで創刊され、それぞれ新人賞を設けるなどして新人の発掘にあたったため、『S-Fマガジン』とあわせて、堀晃・横田順彌・田中光二山田正紀かんべむさし野阿梓神林長平大原まり子火浦功草上仁新井素子・夢枕獏・田中芳樹菅浩江らが1970年代から1980年代にかけて続々とデビューした。1970年代前半から活躍を開始した堀晃、横田順彌、田中光二山田正紀かんべむさしらは「SF作家第二世代」と呼ばれた。1980年代から活躍を開始した野阿梓神林長平大原まり子火浦功草上仁新井素子らは「SF作家第三世代」と呼ばれた。

また、半村良の伝奇SFや平井和正の『ウルフガイ』シリーズは、菊地秀行夢枕獏高千穂遙の諸作品を経て、ライトノベルへと連なる源流の一つとなった。

その一方で、作家・評論家の山野浩一は、不定期刊行誌『季刊NW-SF』(1970年-1982年)の刊行やサンリオSF文庫(1978年-1987年)の監修などを通じて、既存の日本SF界を批判しつつ独自の運動をおこなった[34]。山野浩一が主催した「NW-SFワークショップ」には、鏡明荒俣宏川又千秋森下一仁亀和田武新戸雅章・永田弘太郎・志賀隆生高橋良平山形浩生・大和田始・野口幸夫増田まもるらが参加していた。

1980年代になると、1970年代に商業デビューしキャリアを重ねていた新井素子神林長平夢枕獏らが活躍した。一方で、田中芳樹は当時の和製スペースオペラの代表格であった『銀河英雄伝説』シリーズ本編を1987年に完結させ、その後は伝奇小説などに活動の軸足を移していった。

ビジュアル分野でのSFは引きつづき繁栄し、『風の谷のナウシカ』や『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』が公開され、サンライズが『機動戦士ガンダム』の商業的大成功を経て『装甲騎兵ボトムズ』というハードSF的な作品を製作した。SF企画スタジオのスタジオぬえも『超時空要塞マクロス』でSFアニメに参画した。日本SF大会DAICON III、DAICON IVでのオープニングアニメでファンの注目を集めたDAICON FILMは後にガイナックスを設立し、商業アニメに進出する。日本SF作家クラブは1980年、小説以外の作品も対象とする日本SF大賞を設けた。

1983年には筒井康隆作の『時をかける少女』が映画化され大ヒットした。

やがて1980年代後半から1990年代前半にかけて、『SFアドベンチャー』(1979-92年)や第三期『奇想天外』(1987-90年)など、SF雑誌の休廃刊が相次いだ。また、唯一のSF専門誌となった『S-Fマガジン』は、新人賞であるハヤカワ・SFコンテストを1992年に休止した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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