サイエンス・フィクション
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ブライアン・オールディスはこうした特徴を持つ小説群を指して、皮肉を込めて「心地よい破滅テーマ」と呼んだ[27]
1960年代のSF

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SFの模索期であった1960年代には、1950年代ほどの人気が無かったので、黄金期(ゴールデンエイジ)のSFと呼ばれる1950年代SFと比べて1960年代SFをシルバーエイジのSFと呼ぶ事がある。
ニュー・ウェーブSF

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詳細は「ニュー・ウェーブ (SF)」を参照

1960年代には、イギリスを中心にニュー・ウェーブSFの流れが起きた。これは、対象を外宇宙から内宇宙へ、内省的・思弁的な方向に向けたもので、マイケル・ムアコックの主宰する『ニューワールズ』誌を中心に、J・G・バラードブライアン・オールディスなどが前衛的な作品を発表した。この流れはアメリカにも波及し、SFと他のジャンルとの中間的な作品や、SFの中で文学的実験を行おうとする作品も現れ、ニュー・ウェーブSFの登場を印象づけた。ムーブメントはフィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』やハーラン・エリスンロバート・シルヴァーバーグサミュエル・R・ディレイニーロジャー・ゼラズニイなどに代表される。かれらに共通するのは、人間の社会や歴史、文明、文化に対する巨視的で批判的な視点であり、また、単なる科学の礼賛やその批判ではなく、SFを人間にかかわるあらゆる問題に対する文学的思索(スペキュレーション)の手段として利用していることである。ニューウェーブ運動はSFと現代文学を接続する役割を果たした。
ファンタジーとの融合「サイエンス・ファンタジー」も参照

この時期はまたファンタジーとの融合が試みられた時期でもある。

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1970年代のSF

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1980年代のSF

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スター・ウォーズのロボットR2-D2と記念写真に写るNASA宇宙飛行士
サイバー・パンク

1984年ウィリアム・ギブスンが『ニューロマンサー』を発表すると、ニューウェーブ運動の成果を踏まえつつコンピュータ・テクノロジーとそれによって大きく変化する社会像に着目したサイバーパンクが一世を風靡した。既にデビューしていたブルース・スターリングがこの分野の旗を振るようになった。この分野の作家には『重力が衰えるとき』のジョージ・アレック・エフィンジャールーディ・ラッカーが挙げられる。サイバーパンクの雰囲気を日本語に訳すために黒丸尚はルビを多用した独自の訳文を使った。「サイバースペース」という用語は、1990年代に実社会においてインターネットが普及すると、それを表現するキーワードとして注目された。
1990年代以降のSF

ポストサイバーパンクの流れが始まる。代表的なのはニール・スティーヴンスンスノウ・クラッシュで、この作品でメタバースアバターといった概念が登場し、後のSF作品やIT社会に大きな影響を与えた。

他にはスペースオペラのような冒険小説プロットとサイバーパンクの流れを汲む豪華なガジェット・装飾的な文体を特徴とするニュー・スペース・オペラ(チャールズ・ストロスアレステア・レナルズら英国作家がその主な中心となっている)や、サイバーパンクから派生して1990年代後半にはいちど下火になったものの、2000年代後半にパラノーマル・ロマンスなどの隣接分野から新たな書き手が参入して人気を博しているスチームパンク、SF・ファンタジー・ホラーの要素を融合させたニュー・ウィアードなどといったキーワードでくくられる作品群も登場している。

また、10代を対象としたヤングアダルト作品が人気を博し、スーザン・コリンズハンガー・ゲーム』やフィリップ・プルマン『ライラの冒険』のように、このカテゴリーで商業的ヒットを収める作品も増えている。

また、2000年代からはインターネットや電子書籍の普及により、プロアマ問わずウェブ上での活動がますます盛んになっている。〈アシモフ〉〈F&SF〉〈ローカス〉といった専門誌は電子版の発行を始めた。〈クラークスワールド〉などのウェブジン(オンライン専門雑誌)も、ヒューゴー賞セミプロジン部門にノミネートされたり各賞の短編・中編部門に候補作・受賞作が多数輩出したりするなど、従来の紙雑誌とならんで(主に中短編の)有力媒体として定着しつつある。そのほか、コリイ・ドクトロウのように自作をクリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下で公開したり、ブログや電子書籍による自費出版を行なったり、ポッドキャストを利用したファンキャスト(オーディオ版ファンジン)がヒューゴー賞の新部門(2012-)となったりするなどの動きもある。
日本SFの歴史

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戦前

横田順彌長山靖生は、儒学者の巌垣月洲が1857年に記したとされる「西征快心編」(日本をモデルにした架空の極東の島国において、アジア侵略を企てるイギリスを成敗すべく集った憂国の武士たち八千名が軍船に乗り西征の旅に出る作品)が、日本最初のSFと呼ぶべき性格を備えているとしている[28][29]長山靖生はのちに、恋川春町の天明八年(1788年)発表の黄表紙であり、義経後日談の形をとった歴史改変物である「悦贔屓蝦夷押領」(よろこんぶひいきのえぞおし)を、日本SFの始まりとしている[30]。彼ら以外にも、江戸時代(1603年)から昭和前期(1945年)にかけて書かれた作品のなかにもSF的な作品が存在する。こうした作品群は、横田順彌によって『日本SFこてん古典』シリーズにまとめられており、現在も日本古典SF研究会などで研究が続けられている。

1878年には日本初の翻訳SF小説となる『新未来記』(原著作者はペーター・ハルティンク)を近藤真琴が書いた。


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