サイエンス・フィクション
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

[22]ハリー・ハリスンの暴露本[要出典]によれば、ダイアネティクスにはまったキャンベルは、彼のかかえる作家達に「ダイアネティクス的な」SF小説を書かせる事を強制したという。
出版形態の変化

当時、SF作家の主な活躍の場はSF雑誌に掲載される短編であり、それらの雑誌は『アスタウンディング』を中心に1940年代初頭には隆盛を極めていたが、第二次世界大戦によりアメリカのあらゆる産業・資源が軍需に振り向けられる様になると、紙不足により多くのSF雑誌は規模の縮小や休刊を余儀なくされた。

戦後、出征中に家族に過去の雑誌コレクションを勝手に処分されてしまったSFファンの需要を見込んで、そうした過去の雑誌掲載短編を集めた短編集やアンソロジーの出版が盛んになり、さらに書き下ろしのSF長編も出版される様になっていった。また新しいSF雑誌の創刊も相次いだ。

加えて、SF作家の妄想に過ぎなかった筈の原子爆弾が現実の物になった事で、それまで子供騙しの低俗小説と軽視されていたSFは一躍「未来を予測する洞察的文学」とみなされるようになり[独自研究?]、1947年にハインラインの『地球の緑の丘』がサタデー・イブニング・ポスト誌に掲載されたのを皮切りに、それまでSFに見向きもしなかった大手の出版社・雑誌もがSF作品を刊行・掲載するようになった。こうしてSFの社会的地位と市場規模は一気に拡大し、多くの作家・読者が加わっていった。
1950年代のSF

この節には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2012年7月)

当時は「黄金時代」と見えた1940年代のSFは、現在の目で見れば、稚拙な作品が散見する。現在から見ると、「真の黄金時代」は、1950年代のSFがふさわしいという説もある[23]。特に1959年に創刊された『SFマガジン』で「英米の50年代SF」を刷り込まれた日本ではその傾向が強い[24][25][26]
社会学的・風刺的SF 文学的SF

1950年代は、キャンベルに代わり、雑誌『ギャラクシー』の編集者ホレース・L・ゴールドと、『ファンタジー&サイエンス・フィクション』の編集長アンソニー・バウチャーがジャンルの主導権を握った。

ゴールドは狭義の自然科学のみならず、社会学により未来を予測した社会学的風刺SFを主導した。また、バウチャーは文学的な香りの高い作品を主に掲載した。
心地よい破滅テーマカミーユ・フラマリオン『世界の終わり』(1894)のイラストレーション。破滅テーマは初期から連綿と続くモチーフ。

1950年代以降、冷戦核戦争による人類の滅亡が現実的な問題[注釈 1]となってくると、そのような状況を反映した「終末もの」SF作品が多数生み出された。この時期の「終末もの」の代表作としてネビル・シュートの『渚にて』がある。核戦争が起こって北半球が死の灰に覆われてしまっている。人類は南半球で、次第に南下してくる死の灰におびえながら生活している。

しかし、この時期に書かれた破滅もののSFが真にリアリスティックなものであったかどうかに関しては疑問の声もある[誰?]。この頃書かれたSF小説は、世界が破滅するという絶望的なシチュエーションでありながら、主人公はなぜか幸福な生活をして哲学者のように来るべき破滅を達観しているものが多い[要検証ノート]。ブライアン・オールディスはこうした特徴を持つ小説群を指して、皮肉を込めて「心地よい破滅テーマ」と呼んだ[27]
1960年代のSF


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:157 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef