「ロボット」という言葉は1921年にチェコ・スロバキアの作家カレル・チャペックが書いた戯曲『R.U.R ロッサムの万能ロボット会社』(「R.U.R」はチェコ語なので「エル・ウー・エル」と読む)で初めて使われた(この戯曲に出てくるロボットは、機械人間ではなく人造人間に近い)。この戯曲では、ロボットは人間に代わる労働力として扱われている。
科学が発展の限りを尽くしたが、子供が何故か生まれなくなり人間が減少し、労働力としてロボットが大量に生産される世界が舞台となる。ある時一人の人道主義者の女性が、ロボット達のこの境遇に同情してロボットに心を持たせるよう、ロボット会社R.U.Rに掛け合う。彼女の申し出は、ロボット会社の技術者達が彼女に惚れていたため、即刻叶う事になる。心を持ったロボットらは、自分たちの境遇に憤怒し、反乱を起こして人類を滅ぼしてしまう。この小説は、ただ1人生き残った人類が、男女のロボットが互いに相手をかばい合うのを見て、ロボットたちに「愛」が目覚めたのを知ったところで終わる。解釈はいくつかあるが、非人間的になった人類と人間的なロボットとの対比を用いて、科学批判を行っているという解釈が主流である。
ロボットと並ぶ人造人間の名称、「アンドロイド」は、ヴィリエ・ド・リラダンの長編小説『未来のイヴ』(1886年)によってはじめて世に出された。この作品では、英国貴族エワルド卿が、完璧な肢体と美貌を持ちながら内面はどうしようもない俗物であった美女アリシャ・クラリーに恋焦がれながら、その内面に失望して、友人のエディソン博士に相談を持ちかけた。エディソンはアリシャそっくりのアンドロイド、アダリーを作る。エワルドがイギリスに帰る船に貨物として積み込まれたアダリーは船の沈没により失われ、同船していたアリシャも死亡する。からくも生き延びたエワルドはアダリーが失われたことだけを嘆く。
両作品とも、急速な科学技術の発展や普及を危惧し、警告するという意図で書かれていると言われる。しかし『R.U.R』や『フランケンシュタイン』の強烈な印象により、以降のロボット・人造人間物は「ロボットが製作者を破滅させる」というプロットの繰り返しとなり、これは後にアイザック・アシモフがロボット工学三原則を編み出すまで続く事となった。 この節には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2012年7月) ウェルズによって最初の完成を見たSF小説であったが、SFがアメリカに輸入されたところで、再び、未来予測的で科学礼賛的な希望に満ちた科学小説の時代になる。 このような傾向を持ったSFの頂点に立つのが、1911年にガーンズバックによって書かれた『ラルフ124C41+』だろう。文章もプロットも今から見れば単純だが、未来予測という点では画期的であった。本作は近未来の生活を扱ったロマンス小説で、執筆当時にはまだ発明されていなかった未来の道具が100以上も描かれている。例えば、蛍光照明、飛行機による文字広告、テレビ、ラジオ、プラスチック、ナイター、3D映写機、ジュークボックス、液体肥料、自動販売機、睡眠学習、電波を利用した電力送信、ガラス繊維、ナイロンなどである。 この頃のアメリカSFのもう一つの潮流としては、エドガー・ライス・バローズの火星シリーズに代表されるヒロイック・ファンタジーの流行がある。バローズは1912年、火星シリーズの第一作『火星の月の下で』(後の『火星のプリンセス』)を書く。 火星シリーズのストーリーは単純にして荒唐無稽である。主人公のジョン・カーターは、ある時肉体から魂が飛び出てしまい、魂だけが火星に飛ばされてしまう。火星は地球よりも科学力が何千年も進んでいるが、文化的には中世を想像させる。地球よりも重力が小さいため、元々体力のあるカーターは、火星ではスーパーマンも同然である。火星の悪人どもを剣でなぎ倒し、ヘリウム大帝国の王女にして絶世の美女でもあるデジャーソリスを救い、彼女と結婚して「火星の大元帥」の地位に収まる。 この作品はヴェルヌのような科学的な説明は無く、御都合主義的で設定に矛盾が多いが商業的には大きく成功した。[19]「バローズ風の」作品は一大ブームを巻き起こし、後のSFとファンタジーに絶大な影響を与えた。バローズが生きている頃には数百人の模倣者がいて、その模倣者の中でも有力な者にはさらに数百人の模倣者がいたという伝説がある[20]。 小説のファンタスティックな中世側面からはヒロイック・ファンタジーという剣と魔法で戦うロマンチックな冒険談が生まれ、SF的な火星側面からは、1920年代にスペースオペラと呼ばれる宇宙活劇が産まれた。 当時の代表的なスペースオペラ作家には、エドモンド・ハミルトン、E・E・スミス、マレイ・ラインスター等がいる。宇宙戦争やロボットなど、現在でもしばしばSF小説やSF映画に登場する数々のモチーフの多くが、この頃までに現れている。 だが、すでに1920?30年代からSF作家たちは、そのような架空の世界に楽天的な空想をはせるだけではなく、科学技術の急速な進歩とその悪用に対して倫理的な歯止めが必要であるとの認識も示していた。死んだ人間の首から上だけを人工的に復活させるグロテスクな技術を描くアレクサンドル・ベリャーエフの『ドウエル教授の首』などがそれであり、さらに第二次世界大戦後には、科学技術による全体主義的管理社会を描いた「アンチ・ユートピア(ディストピア)」ものの代表作であるジョージ・オーウェルの『1984年』も書かれた。 この節には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2012年7月) 1940年代はSFの全盛期と、アメリカでは歴史的に言われており、1940年代SFを「黄金時代」(ゴールデンエイジ)のSFと呼ぶ。 1940年代はSFの一大転換期である。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}それまで荒唐無稽なB級小説に過ぎなかったSFにリアリズムの概念が初めて導入された[要検証 – ノート]。リアリスティックなSFの出現は、SF雑誌『アスタウンディング』(後の『アナログ』誌)の3代目編集長ジョン・W・キャンベルの影響が強い。1940年代以前のSFにありがちな荒唐無稽なSFが編集長である彼の元に送られてくると、キャンベルはそれらをこてんぱんに批判した。たとえば、宇宙人が地球人を食用の家畜として飼う話を「食用にするなら地球人を育てるより牛を育てたほうがずっと効率的だ」と批判したり、宇宙人が地球人女性を性の奴隷として連れ去る話を「ちょっと美の感覚が違えば、人間の女でなくとも豚でもよかったはずだ」と批判した。[21]このため、「準光速で走っている宇宙船が突然直角に曲がる」ような小説は無くなった[要検証 – ノート]。 最新の物理学的、あるいは天文学的な知識に基づいた科学的な作品はハードSFと呼ばれるジャンルを成立させ、アスタウンディングではアーサー・C・クラークやアイザック・アシモフ、ロバート・A・ハインラインなどが活躍し始める。
黎明期のSF
科学小説としてのSF:ラルフ124C41+
ヒロイック・ファンタジーの流行エドガー・ライス・バローズ『火星のプリンセス』表紙(1917)
スペース・オペラ
アンチ・ユートピアSF
1940年代のSF
ハードSFの誕生
Size:157 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef