サイイドに含まれる血族の範囲については様々な意見があり[3]、時代や地域によって差異がある[4][5]。初期はムハンマドの叔父であるアブー・ターリブの子孫を指していたが、時代が経つにつれてファーティマとアリーの間に生まれた2人の子供の子孫に限定されていったと考えられている[3]。通常サイイドの血統は父方のみを通して伝えられるとされ、ムハンマドら祖先から継承した美徳はシーア派、民衆的スーフィズム(神秘主義)の信奉者に崇拝された[3]。ムハンマドの精神的な系譜に連なることを主張するためサイイドを称したスーフィーは多く、預言者が帯びる男気(fut?wa)にあやかってサイイドを称する任侠の徒も少なからずいた[6]。サイイドがムハンマドやアリーら父祖から継承するものは美徳といった内面的なものだけでなく、外見にも及ぶと考えられ、祖先の生き写し(al-shab?h)と仇名された者もいた[6]。
女性であるファーティマを経た変則的な血統の継承は、しばしば母系からのサイイドの血統の相伝が可能であるか否かという議論を引き起こし、母系からの相伝が認められた例もある[7]。中央アジアに存在したウズベク国家のヒヴァ・ハン国、ブハラ・ハン国、コーカンド・ハン国の王家は19世紀の時点でサイイドを自称していたが、いずれの王家も母方を通してムハンマドの血統を継いでいる点を根拠としていた[8]。ファーティマとアリーの直系子孫を「ムハンマドの一族」として特別視する人々はハディース(伝承)を取り上げて、ムハンマドの血統が女性であるファーティマを介した点の合理化を試みた[9]。また、サイイドと非サイイドとの結婚に際して血統の釣り合いを重視するイスラーム法の規定がしばしば問題となり、結婚に異議が唱えられることもある[10]。
アブドゥルムッタリブ 預言者ムハンマドの子孫の尊称としては、他にシャリーフ、ミールやハビーブなどが知られている。サイイドと同じ意味を持ち、「血統の高貴さを備える者」を意味するシャリーフの語は10世紀半ばから使われ、モロッコなどでは主にシャリーフが使われている[4]。10世紀頃にはアッバース家の人間はシャリーフと呼ばれていたが、アッバース朝の滅亡などを経て、アッバース家の人間はシャリーフと見なされなくなった[11]。アラビア半島のヒジャーズ地方ではフサインの子孫をサイイド、ハサンの子孫をシャリーフと呼んで区別している[4]。また、中央アジアにおいては、サイイドはしばしばムハンマドの血を引かないカリフの末裔であるホージャと混同される[5]。 尊称の一つとであるシャリーフ(アラビア語: ????、Shar?f)は「高貴なもの」を意味する言葉で、高貴な人物や事物に対して一般的に用いられる[12]。16世紀以降のモロッコに成立したサアド朝、アラウィー朝では君主はシャリーフに限られ、彼らの血統、彼らがもたらすバラカ(恩寵)が重要視されている[12]。また、モロッコではシャリーフに対して「ムーレイ(Moulay)」という尊称が使われている。
アブドゥッラーフ アブー・ターリブ
ムハンマド アリー ジャアファル アキール
ファーティマ
ハサン フサイン
ムハンマドの子孫に対する他の尊称