話題賞は、芸能界全般の中で明るい話題によって最も雑誌の誌面を賑わしたタレントやスタッフなどに贈られる賞だが、第31回(1993年度)からはスポーツ選手も対象となり(後に特別賞へ移行し、スポーツ賞へと発展)、1990年代後半からは芸能(新人)賞には及ばないお笑いタレントの受賞が多かった。
同賞は山本富士子(第1回=1963年度)をはじめとして、美空ひばり、後藤久美子、Mr.マリック、植木等、山本リンダ、イチロー(第32回=1994年度、第33回=1995年度と2年連続)、猿岩石、パイレーツ、茂森あゆみ&速水けんたろう、ボブ・サップ、小池栄子(第40回=2002年度に2組同時)などが受賞している。
特別賞は、もともとその年度に、本賞には該当しないが芸能界全般の中で特別の顕賞に値する功績のあったタレント及びスタッフに贈られる賞だったが、1990年代はその年度に亡くなった芸能人、スタッフ、おまけに怪獣(ゴジラ…後に復活するが)などに贈られる功労賞・残念賞的要素が強く、第37回(1999年度)からはスポーツ選手も対象となり(話題賞より移行し、スポーツ賞へと発展)、本来の受賞対象に沿った幅広い活躍(脚本家・俳優・ミュージシャンとして)を見せた第41回(2003年度)の宮藤官九郎が最後の受賞者となった。
芸能功労賞は、従来の特別賞の受賞対象を物故者限定に模様替えしたものと思われるが、物故者が表彰されたのは意外と歴史が浅く、第25回(1987年度)で「特別功労賞」を受賞した石原裕次郎が最初である。
スポーツ賞は、設定された4回のうち、受賞者の種目はプロ野球(古田敦也、新庄剛志)とゴルフ(宮里藍、石川遼)だけだった。第44回ではフィギュアスケートの荒川静香がトリノオリンピックで金メダルを獲得(同大会で日本勢唯一のメダリストに)も新庄と同時受賞すらならず、第45回ではビーチバレーの浅尾美和がメディア注目度は抜群も成績面で石川ほどの目立った結果を残せず落選した。 この節には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2008年12月) この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
芸能プロダクション・放送局による好き嫌いなど
出典検索?: "ゴールデン・アロー賞"
ホリプロ、ワタナベエンターテインメント、吉本興業といった老舗の芸能プロダクションが受賞に積極的。2000年代はオスカープロモーションも受賞者を多く輩出した。また、志村けん(イザワオフィス所属)も受賞している。ジャニーズ事務所も1980年代は最優秀新人賞をほぼ独占する等[注釈 1]かつては受賞に積極的だったが、第31回(1993年度)に少年隊が演劇賞ならびに大賞を受賞以後、同社所属タレントの受賞者はいない(同時期に他の音楽賞からも姿を消している)。ジャニーズの他にはビーイング[注釈 2]、小室ファミリー[注釈 3]、バーニングプロダクション[注釈 4]、スターダストプロモーション[注釈 5]、エイベックス・エンタテインメント(旧・アクシヴ)[注釈 6]なども受賞辞退の方針、もしくは受賞の対象としていない模様であった。また事務所の意向と特に関係なさそうなところでは蜷川幸雄、渡哲也、横山やすし・西川きよし(きよしはヘレン夫人と連名で話題賞受賞歴あり)、和田アキ子、役所広司、久本雅美、黒木瞳、薬師丸ひろ子、山口智子、鈴木保奈美、Wink、和久井映見、寺島しのぶ、宮沢りえなどといった、大物やその年度を代表する活躍を見せた芸能人にも受賞歴がない。