ゴーヤーチャンプルー
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^ 「チャンプルー」のほかに、書き言葉を重視した「ちゃんぷるぅ」「ちゃんぷるう」や八重山地方の「チャンプル」の表記がある。書き言葉表現については、以下のサイトの表記方針が詳しい。“うちなあぐち南謡出版”. 南謡出版. 2024年2月10日閲覧。
^ “沖縄語辞典データ集”. 国立国語研究所. 2023年10月17日閲覧。 “caNpuruu[名]料理名。豆腐・野菜などの油いため。”
^ 内間・野原(2006),p169 "t∫ampu:「ry:「名詞」料理名。豆腐、野菜などを中心に油で炒めたもの"
^ “うちなーぐち辞典”. 沖縄市. 2023年10月18日閲覧。 “基本は豆腐入り野菜炒め”
^ 沖縄料理を内地に広く伝えた尚道子はNHKの料理番組「きょうの料理」のなかで沖縄料理を紹介していた。その初回は1962年(昭和37年)01月16日放送の「豆腐入りもやし炒め(マーミナーチャンプルー)」となっている。
^ 1955年(昭和30年)には家庭料理として本土の雑誌で紹介され、1971年(昭和46年)には、漫画家の佃公彦がチャンプルーを家族にふるまっているようすが本土の雑誌に掲載されている。
^ 宮良(1930),p141”ts'ampuru[名]あぶらいため(油?)"
^ 国立国語研究所の『沖縄語辞典』は柳田国男伊波普猷の呼びかけで島袋盛敏や比嘉春潮らが編纂し、後進の研究者たちが改訂した信頼のおける辞典である。そのほかの沖縄語辞典でも名詞として扱われ「混ぜ合わせる」の解説はない。また、「混ぜ合わせる」の意味を解説した半田(1999)『琉球語辞典』でも「転義」と解説していて本来の沖縄方言の意味ではないことをきちんと付している。
^ 沖縄県観光文化局文化振興課編(1995),p88”チャンプルーは豆腐を用いた沖縄の家庭料理のなかで代表的なものである”
^ 沖縄県次世代の健康教育検討委員会編(2015)、p19 "豆腐と季節の野菜が使われていなければチャンプルーとは言いません”
^ 昭和期の料理研究家や家政学の本では、チャンプルーは豆腐料理に分類されている。
^ 尚(1964),P20-21,幼い頃に祖母や母にチャンプルーを作ってもらったと振り返っているので1920年代以前から豆腐と野菜を炒め合わせた料理だったと推測できる。
^ 古波蔵(1983),p212"郷里のそばについて書く前、念のために国立国語研究所によって編集された「沖縄語辞典」の「Suba」の項をみた”エッセイストの古波蔵は沖縄出身であるが、いったん沖縄方言の辞典を調べた上で筆をとっていた。皆がこのような姿勢であるならば誤った定義や意味が広がることもなかっただろう。
^ 1985年9月20日放送の「きょうの料理 味の旅?沖縄? イリチー・チャンプルー」のなかで沖縄県調理師連合会(現調理師会)の玉寄博昭氏が出演し、解説している。 
^ 緒方(2008),p205で”チャンプルー(ミックスしたものをすべて指す)”とされるなど炒め物の枠に留まらない定義の拡大もみられる。緒方は熊本県出身のジャーナリスト。
^ この現象に答えを出すことは難しいが、「チャンプルー文化」という言葉が使われ始めたことで料理以外の混ぜ合わせたものの例えにチャンプルーが広く使われるようになり、その影響で豆腐を使わない炒め物についてもチャンプルーと呼ぶ傾向が生まれたとする推測もある。”安次富順子,琉球料理は沖縄の宝4,琉球新報,2021-6-17,朝刊,p16”
^ 沖縄県の資料によると、沖縄料理の調理法における炒め物は「イリチー」や「プットゥルー」や「タシヤー」、そして「チャンプルー」と区別されている。昆布や中身(豚の臓物)、根菜類のように比較的時間をかけて炒め煮にされる料理の「イリチー」(炒り付け)、豆腐を入れない炒め物である「タシヤー」とは区別される。
^ 新島(1965)”本土から来た人が板の上にのせて売っている沖縄の豆腐をみて陸に上がった豆腐といったが、なるほどそうだと思った。本土では豆腐がやわらかいため水に浮かせて売っています。沖縄の豆腐は板にのせられるほどがっちりとし、堂々としているのである。"
^ 黒田(1964)”豆腐は非常に固く、板の上に並べて売っており、買った人は縄でしばって持って帰っているほどである。"
^ 沖縄では流通経路の違いから本土に比べ安価に流通しているポーク缶などが広く素材として普及した
^ 沖縄県文化観光スポーツ部文化振興課(2019)によると、手で千切る理由は、味がよく染みからとされているが、新島(1971)は、おおらかで沖縄らしいと評している。
^ 沖縄県文化観光スポーツ部文化振興課(2019)では、焼き目をつける理由を水分が逃げるのを防ぐためとしている。
^ 砂糖を入れて少し甘くしたり、ピーナッツバターなどを用いることもある。
^ 油鍋がない家庭が多い時代には、来客時には油鍋を借りてきていた。
^ 医学者の黒田嘉一郎が『沖縄紀行』に書いてあるように、豚脂で豆腐と野菜を炒めるのがチャンプルーの一つの特徴で本土では見られない食文化だった。琉球大学教授の宮城栄昌は“食生活が変わっても豚脂との縁はなかなか切れそうもない”と記していたが現代のチャンプルーに関してはその縁が切れてしまっている。
^ 語源のひとつとしてあげられている擬声語の「チャラミカスン」と同く炒める際の音の表現のひとつ。エッセストの古波蔵保好が「強く焼いたあぶらに豆腐をほうりこんだ時の音はホントにさわがしい。その音を聞いて、遠くから、あの家のオカズは『ちゃんぷる』だなと、わかるほどひびき渡っていた:古波蔵(1983)p234」と記すように沖縄の音のひとつだった。
^ 芋と合う汁気の多いンブシーが好まれたという話であって、尚泰王の子・尚順らが残しているように昭和30年代以前からチャンプルーも広く食べられていた。
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