ゴート語
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それ以降(9世紀後期以後)に発見されたゴート語に見える文書・碑文は、ゴート語ではない可能性がある。

このように、死語でありながらも初期の文書が残っており、比較言語学の見地からは研究材料として極めて興味深い言語である。

言語の元々の名前は証明されていない。後にゴート語が再建された際の名前 *gutiska razda は、ヨルダネスによる Gothiscandza 「ゴートの終わり(または境界)」が元になっている。ただし、razda が「言葉」に相当することは証明されている(例えば、マタイ書26:73に「言葉」が含まれている)。

本項で表記しているゴート語は、ゴート文字の項で説明されている体系を使用して転写されたものである。
ゴート語の古文書群アンブロジウス写本B (Codex Ambrosianus B)

ゴート語を再建するには十分でないものの、いくつかの文書が現在に至るまで保存されている。

最も規模の大きい保存文書群は、アリウス派の教父ウルフィラ(Ulfilas または Wulfila, 311-382年)によって書かれた聖書と、その写本である(以下、ウルフィラ版聖書と記述)。ウルフィラは、ローマ帝国の行政区モエシア(現在のブルガリアセルビアの一部)の西ゴート族キリスト教徒コミュニティの指導者であった。彼はギリシア語七十人訳聖書を元に、ゴート語に翻訳する取りまとめを行った。このうち、新約聖書の約4分の3と、旧約聖書の若干の断片が遺っている。

銀泥写本(en)または銀文字写本(Codex Argenteus) およびシュパイアー断片(Speyer fragment):188葉
最も保存状態の良い写本。6世紀に北イタリアの東ゴート族に送られ、保存されていたもの。四福音書の大部分を含む。ギリシア語から翻訳されたものであるため、ギリシア語の借用語と語法が多数含まれている。構文は、部分的にはしばしばギリシア語からそのまま転用されている。

アンブロシアヌス写本(Codex Ambrosianus)およびタウリネンシス写本(Codex Taurinensis):5分冊、合計193葉
新約聖書(福音書と書簡の一部を含む)と旧約聖書(ネヘミヤ記)、およびSkeireins(ゴート語による解説)として知られる注解からなる。テクストの一部が写字生によって幾分か修正された可能性が有る。

ギーセン写本(Codex Gissensis):1葉
ルカ福音書23-24の断片。1907年にエジプトで発見されたが、1945年に水害で破損した。

カール写本(Codex Carolinus) :4葉
ローマ書11-15の断片。

バチカン・ラティヌス写本5750(Codex vaticanus Latinus 5750):3葉
Skeireinsの57-58ページ、59-60ページ、61-62ページ。

少数の古文書:アルファベット、カレンダー、いくつかの文書で見つかる語彙注記。また、実体はゴート語であると思われるルーン文字のいくつかの碑文。一部の学者は、これらの碑文のすべてがゴート語であるとは考えていない(Braune/Ebbinghaus "Gotische Grammatik" Tubingen 1981)。

用語集:16世紀のフランドルの外交官で、クリミア半島に住んだオージェ・ギスラン・ド・ブスベック によりトルコ語で編集された、数十語の用語集。これらの用語は記述時点から約1世紀前のものであり、ウルフィラ時代のゴート語ではなく、クリミア・ゴート語に関連がある。

ウルフィラ版聖書の他の部分についての、証明されていない発見報告がある。ハインリッヒ・メイは1968年に、マタイ書を含む12葉の重ね書き羊皮紙(Palimpsest, いったん書かれたものを薄く削り、新たに書き入れたもの)をイギリスにおいて発見したと主張した。しかし、この主張は決して受け入れられていない。

ゴート語の文献のうち、翻訳された聖書の断片だけが保存された。ウルフィラ版聖書以外の翻訳は明らかに、ギリシア人キリスト教徒と文化的に近い、バルカン半島の人々によってなされた。ゴート語の聖書は、7世紀頃まではイベリア半島、イタリアの西ゴート族の人々や、バルカン半島や現在のウクライナにあたる地域の東ゴート族の人々によって使われたようである。

アリウス派の異端弾圧に伴う根絶運動があったため、ゴート語の多くのテクストはおそらく削られて、元の字句を消した上で他の言語で上書きされたか、あるいは焚書されたものと考えられている。聖書はその対象とはならなかったため、ゴート語の相当長いテクスト Skeireins として残されている。これはヨハネ福音書とその解説を含んでいる。

ゴート語の極めて希少な二次史料が8世紀後頃にあるが、おそらくその時代にはゴート語は使われなくなっていた。中世とゴート族に言及するテクストを評価する際には、多くの著者が東部ヨーロッパにおけるどんなゲルマン語族類でも「ゴート語」として扱った可能性に注意する必要がある。これは当時のラテン系国家におけるゲルマン語への理解不足による。ゴート語の聖書からは、当時の多くの人々がゴート語を使っていた訳ではないことがうかがえる。一部の著者は、スラヴ語派を話す人々さえゴート族として言及している。

クリミア・ゴート語とウルフィラのゴート語との関係は不透明である。16世紀以降のクリミアゴート語の語彙の断片は、聖書のゴート語と有意な差が見られる。しかし、いくつかの語彙、たとえば "ada"(卵)のような言葉は引き継がれている。

通常、「ゴート語」とは4世紀頃、ウルフィラのゴート族の言語を意味するが、ウルフィラの死のずっと後、6世紀頃まで使われていたことが証明されている。


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