ゴドフロワ・ド・ブイヨン
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第1回十字軍詳細は「第1回十字軍」を参照1808年から聖墳墓教会に展示されているゴドフロワ・ド・ブイヨンの刀(1854年撮影)[7]

1095年、ローマ教皇ウルバヌス2世がヨーロッパ中の諸侯に十字軍遠征を呼びかけ、聖地エルサレムの解放と東ローマ帝国1071年セルジューク朝に奪われた広大な東方領の奪還のための軍事支援を要請した。ゴドフロワはこの要請に応じ、リエージュ司教(英語版)やヴェルダン司教(英語版)に自身の領土を売り払い、得られた資金で自身の十字軍軍団(英語版)を結成した。またこの軍勢には兄弟のウスタシュやボードゥアンも参加し、特にボードゥアンはヨーロッパに封土を有していなかったため、聖地で自身の領地を獲得せんと試みて遠征に参加したとされている。他の諸侯らも同様に自軍を集めて十字軍遠征に備えていたが、その中でも最も大規模な軍勢を従えていたのが、のちに対立することとなるトゥールーズ伯レーモン4世であった。レーモンはこの時既に55歳であり、遠征に参加した諸侯の中で最も老齢でかつ最も経験豊富な十字軍諸侯であったため、十字軍の総司令官として全軍を率いることが期待されていた。また教皇勅使として十字軍に参加していたアデマール・ド・モンテイユもそれを強く後押しした。十字軍には彼らの他にターラント公ボエモンフランドル伯ロベール2世らが参加した[8]ビザンツ皇帝アレクシオス1世コムネノスと会談するゴドフロワ、ウスタシュ3世ボードゥアン兄弟。

教皇ウルバヌス2世の助言に従い、十字軍の大半は盛夏に出陣しコンスタンティノープルへ向かった。そこでビザンツ皇帝アレクシオス1世コムネノスから支援を受けられると考えられていた[9]。これらの十字軍は数部隊に別れた上で進軍したという。まとめていっぺんに進軍すると、これらの大軍を賄うだけの食糧や補給を集めるのが困難だと考えられていたからだった。それらの部隊のうち最初に出陣したのは、民衆十字軍としても知られている約20,000人の下級騎士・農民によって構成された部隊である。彼らは1096年春に出陣し、ラインラント地方を経由してハンガリー王国(英語版)へ向かった[10]。北フランスや南フランスから参加した十字軍の多くはブリンディジからアドリア海を渡りバルカン半島へと向かったが、残る約40,000人のロレーヌ軍を率いるゴドフロワや彼の兄弟たちは民衆十字軍がたどった経路に従って進軍した[11]

教皇ウルバヌス2世の十字軍遠征の呼びかけにより、ヨーロッパでは反ユダヤ主義が蔓延し、1095年12月にはルーアンで反ユダヤ主義による暴動が発生した。そしてその主義に影響を受けた民衆十字軍は、1096年初春から初夏にかけてラインラント地方にてユダヤ人を大量虐殺(英語版)するという残虐な事件を引き起こした[12]。この事件の50年程のちに編纂されたヘブライ語文献によると、ゴドフロワもこの虐殺事件に加わりユダヤ人の殺戮を企んでいたとされる[13]。しかし現地のユダヤ人指導者が神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世に惨状を伝えたことにより、ハインリヒ帝はゴドフロワに対しユダヤ人虐殺を強く禁止したため、ゴドフロワは結局実際に殺戮に関与することはなかった。しかしこの文献によると、マインツケルンのユダヤ人指導者たちは、ゴドフロワに対して500マルクの金銭を送り、ことを穏便に済ませたという[13][14][15]

同年6月、民衆十字軍はハンガリーに入城した。しかし彼らは現地のハンガリー軍といざこざを起こし、十字軍とハンガリー軍が全面衝突してしまい、10,000人もの十字軍が殺された。結果、その後にゴドフロワの軍勢がハンガリーに入国する際、数日間に渡るハンガリー王国との交渉をせまられたという[16]。そして11月、ユーグ1世率いる軍勢の着陣に続いて、ゴドフロワ率いる軍勢はコンスタンティノープルに到着した。アレクシオス帝は想定外の規模の軍勢の来着に困惑した。コンスタンティノープルに集結した十字軍が4,000?8,000の騎馬隊、25,000?55,000の歩兵部隊にまで達していたからだ。これはビザンツ・ローマの両勢力が目指す目標の違いが原因とされる。ローマ教会は異教徒(ムスリム)から聖地を解放し自勢力の制御下に置くことを目標としていたのに対し、ビザンツ帝国はただ単にセルジューク朝に奪われた領土の奪還を目標にしていたからだ[注釈 1]。アレクシオス帝は十字軍に帝国への忠誠を求め、再征服した領土の一部を帝国に還元することを要求し、レーモン4世を除くゴドフロワやその他の多くの諸侯はその条件を認めた[17]


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