本作のプロットは、原作となったプーゾの小説の中から、前作では描けなかった父ヴィトー・コルレオーネの青年時代と、本作のためにコッポラとプーゾによって新たに書き下ろされた、息子マイケル・コルレオーネのその後という二つの異なった時代の物語を平行させながら描く[7]。そのため物語の時系列は、前作の後日譚であると共に前日譚に相当する。
1974年12月12日に全米で公開され、前作を上回ることはできなかったものの興行的に成功を収めた。批評家たちからも高い評価を受け、同年度のアカデミー賞では作品賞を含む9部門でノミネートされ、そのうち作品賞・監督賞・助演男優賞・脚色賞・作曲賞・美術賞を受賞した。アカデミー作品賞を受賞した映画の続編が再び作品賞を受賞したのは、現在に至るまでアカデミー賞史上唯一の快挙である。1993年には、前作に続きアメリカ国立フィルム登録簿の保管作品に選ばれた。
この映画は初期ダイ・トランスファー方式のテクニカラーで撮影された最後のアメリカ映画でもある[8]。 この映画では、二つの物語が同時進行で語られる。一つ目の物語の舞台は1958年から1959年で(一部に1941年の回想)、前作『ゴッドファーザー』に続くマイケル・コルレオーネの姿が描かれる。もう一方の物語は1901年から1925年までの、マイケルの父ヴィトー・コルレオーネの在りし日の姿を描く。幼い頃にニューヨークに渡りコルレオーネ・ファミリーを築いていくヴィトーの物語が、現在のファミリーを守るために戦うマイケルの物語と交錯(クロスカッティング)する。 1958年。父ヴィトーの跡目を継ぎ、ニューヨーク五大ファミリーのドンたちの暗殺によって裏社会での強力な権力を得たマイケル・コルレオーネは、ネバダ州に本拠を移していた。タホ湖の湖岸にある邸宅では、息子アンソニーの初聖体式を祝う盛大なパーティーが開かれており、組織の古参幹部ピーター・クレメンザ亡き後に、彼のニューヨーク(NY)の縄張りを継承したフランク・ペンタンジェリも来ている。フランクはNYの縄張りを巡って同じくクレメンザからその一部を譲り受けたと主張するロサト兄弟と対立しており、その解決をマイケルに頼む。しかし、ロサト兄弟の後見にはユダヤ系マフィアの大物でヴィトーの盟友であったハイマン・ロスがおり、事を荒立てたくないマイケルは我慢するように言う。その晩、マイケルは妻のケイと共に自宅の寝室で就寝中のところを、窓の外から激しい銃撃を受ける。 犯人の正体はわからないが、身近な者が関わっていること、またNYの件と関係があると見たマイケルは、本拠を義兄で組織の弁護士であるトム・ヘイゲンに任せ、マイアミにいるロスの邸宅に赴く。マイケルは父の代から続くファミリーとロスとの長年の協力関係を強調した上で、自分を襲撃させた犯人はフランクだと告げ、彼を粛清することで合意する。次にその足でNYのブルックリンに赴いたマイケルはフランクと会見し、事件の黒幕はロスだとわかっていると告げた上で、彼を油断させるためにロサト兄弟と会談して欲しいと依頼する。マイケルの希望に従い、フランクはロサト兄弟との会談場所に赴くが、兄弟に裏切られてガロット 1958年末、マイケルはロスの誕生日パーティーが開かれるキューバのハバナへ向かい、多くの者たちと共にロスと会見する。その頃キューバではアメリカの支援を受けるバティスタ政権とカストロ率いる反政府ゲリラによる紛争が起きており、マフィア達は反政府ゲリラが勝ち、キューバ利権が失われることを危惧していた。遅れてマイケルの兄フレドがハバナへと到着し、マイケルはフレドに自分を殺そうとしているのはロスで、間もなく暗殺することを伝える。マイケルとロスは改めて会見し、マイケルはフランクを襲撃したのは誰か問い詰めるが、ロスは動じることもなく、逆に自身が目をかけていたモー・グリーンを殺し、その利権を奪い去ったマイケルを非難する。また、マイケルはフレドの失言によって、彼がロスの内通者だったと知り、激怒する。 マイケルは手下にロスとその側近ジョニー・オラの暗殺を命じ、オラは殺されたがロスは発作を起こして病院に運ばれ、辛くも暗殺の手を逃れる。また、マイケルはフレドに裏切りに気づいたことを告げる。さらに1959年の新年パーティーの最中、政府高官が反政府ゲリラが政府軍に勝利したことを出席者達に知らせ、一転して場はパニックに陥る。マイケルも他の多くの客と同様にハバナから離脱しようとするが、同行することを拒否したフレドは一人で逃走する。
あらすじ
マイケルのパート