ゴッドファーザー_(映画)
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そこでピーター・バートは、低予算で仕事ができるイタリア系の監督として、最新作『雨のなかの女』が興行的に不発に終わっていたフランシス・フォード・コッポラを提案した[58][32]。当時のコッポラは批評家からの評価は高かったが、興行的にはまだ成功を体験していない、いわばマイナーな監督であった。コッポラは当初、プーゾの小説がいかがわしく扇情的で「pretty cheap stuff」(かなり安っぽいもの)だと述べて、オファーを断った[35][59]。しかし当時、コッポラのスタジオであるアメリカン・ゾエトロープは、ジョージ・ルーカス監督映画『THX 1138』の予算超過のためにワーナー・ブラザーズに40万ドル以上の借金をしており[60]、また彼の経済状態の悪さと、ルーカスなどの友人や家族のアドバイスもあり、コッポラは最初の決定を覆して仕事を引き受けた[57][61] [62]。コッポラは1970年9月28日に本作の監督として正式に発表された[63][64]。コッポラは125,000ドルと劇場レンタル料の6パーセントを受け取ることに同意した[65][66]

しかし実際のところ、ピーター・バートとロバート・エヴァンスは、上層部の反対もあり、監督発表の48時間前でも、コッポラにするべきか決めかねていた。当時はマフィア映画が当たらないという風潮が根付いており、原作が人気を得ていたとはいえ、最初からこの映画を大規模な作品にすることは想定していなかったため、最終的にはコッポラという長編映画3本を連続してコケた監督にお願いするしかなかった[67]
コッポラとパラマウントの衝突

『ゴッドファーザー』の製作以前、パラマウントは不遇の時期を過ごしていた[38]。最新のマフィア映画『暗殺』(1968年)の失敗に加えて、パラマウントが製作または共同製作した『ペンチャー・ワゴン』(1969年)、『暁の出撃』(1970年)、『ワーテルロー』(1970年)といった直近の映画は、予算を大幅に超過していた[38][50]。この映画の予算は当初100万ドルから250万ドルほどであったが、小説の人気が高まるにつれ、コッポラはより大きな予算を要求し、最終的には600万ドルから720万ドルほどとなったが、それでも大作規模に及ぶものではなかった[注 5][56][68][70]。パラマウントの幹部は、映画を現代のカンザスシティに設定し、コストを削減するためにスタジオの映画セット(バックロット(英語版))で撮影することを望んだ[56][47][68]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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