しかし実際のところ、ピーター・バートとロバート・エヴァンスは、上層部の反対もあり、監督発表の48時間前でも、コッポラにするべきか決めかねていた。当時はマフィア映画が当たらないという風潮が根付いており、原作が人気を得ていたとはいえ、最初からこの映画を大規模な作品にすることは想定していなかったため、最終的にはコッポラという長編映画3本を連続してコケた監督にお願いするしかなかった[67]。 『ゴッドファーザー』の製作以前、パラマウントは不遇の時期を過ごしていた[38]。最新のマフィア映画『暗殺』(1968年)の失敗に加えて、パラマウントが製作または共同製作した『ペンチャー・ワゴン』(1969年)、『暁の出撃』(1970年)、『ワーテルロー』(1970年)といった直近の映画は、予算を大幅に超過していた[38][50]。この映画の予算は当初100万ドルから250万ドルほどであったが、小説の人気が高まるにつれ、コッポラはより大きな予算を要求し、最終的には600万ドルから720万ドルほどとなったが、それでも大作規模に及ぶものではなかった[注 5][56][68][70]。パラマウントの幹部は、映画を現代のカンザスシティに設定し、コストを削減するためにスタジオの映画セット(バックロット
コッポラとパラマウントの衝突