ゴッドファーザー_(映画)
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パチーノは当時、本作の配役がなかなか決まらなかったことから、メトロ・ゴールドウィン・メイヤー (MGM)製作のギャング映画『The Gang That Couldn't Shoot Straight』に出演する契約を先に結んでしまっていたが、エヴァンスはシカゴ・アウトフィットの顧問弁護士(コンシリエーレ)を務めた経験のあるシドニー・コーシャック(英語版)を雇ってMGM社長とそのオーナーのカーク・カーコリアンに圧力をかけ[32]、2つのスタジオは和解に合意し、撮影開始約3週間前の1971年3月4日に正式にパラマウントと契約した[132][133]。パチーノはのちに、「マイケル・コルレオーネは、私が演じた中で最も難しい役だった。私は彼をギャングとして見ていなかった。彼の力は彼の謎めいた資質にあると感じていた」と述べている[134]。カーンもまた、イタリア系でなかったということもあり、ソニーの役作りには苦労したようだが、マフィアの動きを熱心に観察したり、”キレ芸”で知られたコメディアンのドン・リックルズを意識してつくりあげたという[32]
ジョニー・フォンテーン役
フィラデルフィア・ファミリー(英語版)のボスであるアンジェロ・ブルーノの斡旋により当時ナイトクラブで有名な歌手になっていたアル・マルティーノは、小説を読んでマルティーノがジョン・フォンテーンのキャラクターに似ていると思った友人のフィリス・マクガイア(英語版)(彼女は歌手であり、シカゴ・アウトフィットのボスであるサム・ジアンカーナの恋人でもあった)によって、その役の存在を通知された[32]。そしてマルティーノは、アルバート・S・ラディに連絡して自分を売り込んだが、ラディは意外にもあっさりと演技経験のない彼にこの役を与えた[32]。しかし、コッポラが監督になると、歌手のヴィック・ダモーンに配役を変更したため、マルティーノはこの役を剥奪された[32]。マルティーノによると、フォンテーン役を剥奪された後、彼の名付け親(ゴッドファーザー)でブファリーノ・ファミリー(英語版)のボスであったラッセル・ブファリーノの元に行き、「”元々マルティーノに役を与えていた”という事実をコッポラが知らなかった」と主張する様々なニュース記事を流して情報操作を行った[32]。ダモーンは結局、ギャラが安すぎたことに加え、マフィアを刺激したくなかったため役を降板した[32][135]。そのため最終的にジョン・フォンテーン役は、再びアル・マルティーノに渡った[135]。なお、当時からジョニー・フォンテーンのモデルとして囁かれていたフランク・シナトラは、原作が出版される前でさえ、プーゾの出版社にシナトラの弁護士から原稿を見ることを要求する手紙を送るほど(出版社は丁寧にその要求を拒否した)、本作にセンシティブに反応していた[136]。最も有名なエピソードは、映画化の話が上がってからまもなく、プーゾとシナトラの共通の知人が2人を引き合わせてしまったときに、シナトラがプーゾに「足を折ってやる」「地獄へ叩き落とす」と脅迫したというものである[32][136]。さらにアル・マルティーノによれば、「あなたがフォンテーン役を引き受ければ、シナトラはラスベガスからあなたを締め出すだろう」という内容の警告を受けたと話している[136]。こうしたシナトラの行動には、映画におけるフォンテーンの出番を最小限にしようという目論見があった、とマルティーノは話している[注 10][32]。一方でコッポラはのちに、企画の初期の段階で「彼は冗談めかして『パラマウントからこの映画を買って、私がゴッドファーザーを演じよう』と言った」と述べ、シナトラがヴィトー役に意欲を示していたことを明かした[136]
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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