富山省吾によれば、このほかに川北紘一による改訂脚本もあったとされるが、田中友幸は「円谷英二にもやらせなかったことは川北にやらせない」として、特撮監督が脚本を書くことを受け入れなかったという[200]。大森も、自身が予算を考慮して撮りたかったシーンを泣く泣く削っていたのに、川北が特撮の見せ場を増やした脚本を出してきたことには憤りを感じていたことを述懐している[72]。 メカニックデザインには、版権申請で関わりのあり前作でも伊豆大島ロケやキャンペーンなどに参加していたSF専門店ゼネラルプロダクツ代表の岡田斗司夫を介し、宮武一貴・河森正治・横山宏ら当時のアニメや模型業界などで活躍していたデザイナーが集められ、スーパーX2のコンペが行われた[213]。最終的に横山の案が選ばれたが、その後横山が独自にデザインしたメーサー戦車の扱いを巡りトラブルが生じ、横山は正式なスタッフからは外されるに至った[213]。「横山宏#エピソード」および「メーサー兵器#制作(92式メーサー戦車)」も参照 岡田の名はクレジットになく、本作品への関わりは書籍『ゴジラVSビオランテ コンプリーション』(2015年)で初めて明らかにされた[213]。岡田は、横山の件に責任を持たずに済んだことに安堵したが、仲介料を請求できる状況ではなかったと述懐している[213]。 ビオランテのデザインが難航し作業は長期に及んだため、デザイナーも多くの人物が参加していた。最終的なデザインを手掛けた西川伸司は、本作品以降も怪獣などのデザインを手掛け、シリーズを代表するデザイナーの1人となった[214]。『帰ってきたウルトラマン』第34話に登場するレオゴンのデザインを手掛けた米谷佳晃も初期に参加していたが、米谷は以前よりゴジラシリーズと関わりがあり、本作品の原作が『帰ってきた』第34話と同じ小林だとは知らなかったという[215]。米谷は、本作品の制作が正式に決定し、決定稿の台本を受け取った時点で自身の役割は終わったものと認識しデザイン画の返却を求め身を引いたが、実際にはこの時点でもデザインは決定しておらず米谷の名もクレジットされていない[215]。原作者の小林もビオランテのデザインを描いていたほか、ロボットデザイナーとして知られた園山隆輔、マーブリング・ファインアーツの松原裕志、ビルドアップの品田冬樹、『ガンヘッド』から引き続き参加のスタジオOXなどが携わっていた[216]。 ビオランテの造形は、1989年に設立されたばかりのビルドアップが手掛けた[217]。同社代表の岡部淳也が前年に手掛けた『帝都物語』での造形が評価されての参加であった[218]。スーパーX2の造形を担当したビーグルは、『さよならジュピター』から東宝特美に参加していた萩原晶が本作品のために設立した[219]。 外部スタッフが多くなったため、富山や製作担当の森知貴秀らの意向により、本作品以降エンドクレジットに可能な限り多くのスタッフを掲載している[188]。 1989年5月の制作決定から8月のクランクインまで短い期間でブッキングを行わなければならず、富山省吾は豪華キャスティングが実現したことについてキャスティングプロデューサーの田中忠雄の手腕を評価している[200]。 当初、大森のイメージキャストでは、権藤役に原田芳雄、黒木役に古尾谷雅人、白神博士役に仲代達矢と想定していた[220][72]。最終的にはスケジュール優先での決定となったが、イメージと同様の本格的なキャスティングを目指し、高橋幸治や金田龍之介ら東宝特撮色の薄い豪華キャストとなった[220]。特に高橋は怪獣映画への出演はこれまでなかったが、面白がって参加していたという[200]。 1989年に『黒い雨』で各賞を総ナメした田中好子の出演交渉の際、大森は「(ゴジラ映画も『黒い雨』も)どちらも原爆に関することですから」と語ったという[72]。 三枝未希役の小高恵美は、前作の沢口靖子に続き東宝シンデレラから起用された[220][200]。
外部スタッフの増加
配役