ゴジラvsキングギドラ
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また、伊福部は引き受ける条件として当時すでに廃れていた「撮影所でフィルムを上映しながら録音する」という方法を要望し[出典 114]、大型ステージを貸しきってオーケストラの録音を再度実行するという、非常に手間のかかるレコーディング作業が行われた[注釈 51]。当時、東宝スタジオ内での音楽録音を行っていた録音センターはダビング専用のスタジオとなっており、録音機材や譜面台などは処分されていたため、機材や設備を1から揃えることとなった[出典 115]。また、古いスタジオのため電源や録音車のコードを外部から通す穴がなく、ドアを半開きの状態で収録せざるを得なかった[263]。オーケストラは、コンサートとは異なり汚い音を出さねばならないなどの作業に当初は戸惑っていたが、次第に画にあわせて力強い演奏をするようになり、ラストでのエミーの別れの音楽ではフルートハープが表情をつけすぎるなど、伊福部は薬が効きすぎたと評している[254][256]

伊福部は、ダビング作業にも5日間立ち会っており、大森は音楽家とダビングを行ったのは初めてであったと述べている[47]

冒頭の東宝ロゴでは、ピアノティンパニ減七の和音による激しい楽曲が挿入された[254]。伊福部は、続く海底のシーンが静かな場面であったものの、静かな導入では前半がだらつくと考え、また東宝60周年でもあることから威勢のよい出だしとした[254][256]

キングギドラのテーマは、飛行シーンや襲来シーンはシンバルのみとし、全身を表してからはホルンを中心としたフルオーケストラでの激しい演奏としている。伊福部は、オーケストラが脳震盪を起こしかねない緊迫感のある演奏になったといい、そのため長くはやらなかったと述べている[256]

当初、伊福部は未来人のモチーフにはシンセサイザーを用いることを検討していたが、本作品の直前に手掛けた映画『土俗の乱声』でオーケストラにシンセサイザーをあわせたがうまくいかなかったため、本作品ではシンセサイザーを用いずピアノ、チェレスタビブラホーンのアコースティック楽器3種類でのアトナルとした[出典 116]。エミーのテーマではハープなど古典的な楽器を用いてアコースティックなものとしている[257]

ゴジラザウルスのテーマは、ゴジラのテーマとは似て非なる楽曲となっており、後半部は哀愁を感じさせるメロディとなっている[出典 117]。特撮パートで同じ曲が続いていたことから、毛色の異なるゴジラザウルスのテーマが札幌のシーンでも用いられた[263]。ドラットのテーマは、キングギドラの主題を4オクターブ上げ、未来人のテーマと同じくチェレスタ、ビブラホーン、ピアノを用いている[256]

ラゴス島での日本軍の突撃ラッパについて、伊福部はドラマにあわせた音楽としてはテンポが遅いと感じたが、太平洋戦争での出兵経験者からは「これでいい」との評価を受けたという[254][256]

ゴジラと新堂が対峙する場面では、伊福部は新堂が歩き出す場面から音楽を始めるという想定であったため、その直前のゴジラが接近する場面から音楽を始めたいという大森に対し「人間の音楽だから、怪獣に当ててもだめです」と言って反対しており、最終的にはゴジラは新堂の想像の姿だという想定で音を小さくすることで納得したという[47]

後半の特撮シーンでは、伊福部の体力的な問題もあり、あらかじめ用意したゴジラのテーマやキングギドラのテーマのテンポ違いを選曲段階であてはめている[262][263]

本作品のサウンドトラックは、平成VSシリーズでは唯一バンダイビジュアルから発売された[32]。販売元であるアポロンの峰松毅は、自身が最初に観た『モスラ対ゴジラ』(1964年)のインパクトを語り、リリース権を獲得したという[264]。録音費用を確保するためCD2枚組とし、2枚目は朝日ソノラマソノシートをオマージュしたドラマ編とした[264]
宣伝

ゴジラ』(1984年)では漫画雑誌『週刊少年ジャンプ』(集英社)とタイアップを行っていたが、本作品からは小学館の学年誌、『コロコロコミック』、『週刊少年サンデー』などとタイアップを行い、小学館との関係性が強化された[265]。同社の超全集もゴジラシリーズは本作品から発売された[85]

写真ポスターのゴジラとキングギドラの瞳は色が暗かったので白目が描き加えられている[266]。もともとはゴジラの生物感を出すために前作から引き続いて、白目が分かりにくくなっていたが、それがきっかけとなり次作以降のゴジラは虹彩が明るく、瞳が分かりやすいように造形されるようになった[266]

ワイドショー番組『森田健作の熱血テレビ』(テレビ朝日、1991年8月16日放送回)の取材で、特撮ファンとしても知られる俳優の京本政樹が新宿セットの撮影現場を訪れた[198]

9月21日から23日に開催された「第8回古湯映画祭」や11月23日に開催された「伊丹映画祭」などにスタッフ・キャストらが参加した[71]

10月13日には、中部地区で「ゴジラまつり」が開催され、前売り券購入者はゴジラスーツと記念撮影できることができた[71]。12月7日・8日には、札幌で試写会とトークショーが開催された[71]
評価

前売り券の売上が好調であり、公開直後には梅田で日曜日の動員が7,000人を記録するなど好評を博し、後半は伸び悩んだものの、正月興行の合格ラインとされる10億円を上回る14億5,000万円の配収を記録した[26][71]。一時は期待されていた20億円には届かなかったものの、これによりシリーズの続行が決定的になったとされ、公開直後には次作の特報が後付された[26]。本作品のヒットは、制作側の狙い通りファミリー層の呼び込みが成功したものとされ、親子2世代をターゲットとした作品づくりが確立された[28]

予想以上のヒットを受けて、公開後にも新たな宣伝が行われ、キングギドラの都市破壊シーンをメインにしたCMの他に、寺沢とエミーが銃を構える、怪獣映画には珍しい人間がメインのアクション映画風の広告(モノクロ)も新聞に掲載された。北海道向けの新聞広告では、札幌のシーンを用いたものが掲載された[242]

翌年、読売ジャイアンツに入団する松井秀喜に「ゴジラ」のニックネームがつけられるなど、ゴジラの社会的認知度は増していった[265]

本作品のラゴス島での米軍描写について米国の退役軍人団体などからクレームがついた[267]ほか、ゴジラ誕生の理由をアメリカの水爆実験と明言している点、さらに当時貿易摩擦で悪化していた対日感情からアメリカの配給会社も難色を示し、劇場公開されないどころか英語版すら製作されなかった[268]


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