ゴジラのテーマ曲が前面に押し出されたほか、キングギドラのテーマ曲や『宇宙大戦争』『キングコング対ゴジラ』『怪獣総進撃』で用いられた旋律が伊福部自らによる編曲を経て再び用いられている[255][258]。伊福部は、ゴジラとキングギドラのどちらも手掛けてから数十年経っていたことから全面的に変えることを考えていたが、友人から「(伊福部に頼むということは)似たような音を求められているのではないか」と言われ、過去のモチーフを中心とした構成とした[254][255]。いわゆる「ゴジラのテーマ」は、本来ゴジラを主題にした楽曲ではなかったが、ゴジラの音楽としての認知度が高かったため本作品より明確なテーマ曲として用いられた[出典 113]。例外的に、戦闘機がキングギドラを追撃するシーンで、前作同様にアルバム『OSTINATO』から「ラドン追撃せよ」が流用された[259] が、これは監督の意図が自衛隊主体のシーンだったのに対して伊福部がギドラの主題を用意していたため、新たに作曲し直す時間がなかったことによる[47][注釈 50]。伊福部は、湾岸戦争参加論でゴタゴタするなど当時の自衛隊が勇ましさに欠けていたと感じたため、マーチにすべきかどうか迷っていたことを語っている[257]。
また、伊福部は引き受ける条件として当時すでに廃れていた「撮影所でフィルムを上映しながら録音する」という方法を要望し[出典 114]、大型ステージを貸しきってオーケストラの録音を再度実行するという、非常に手間のかかるレコーディング作業が行われた[注釈 51]。当時、東宝スタジオ内での音楽録音を行っていた録音センターはダビング専用のスタジオとなっており、録音機材や譜面台などは処分されていたため、機材や設備を1から揃えることとなった[出典 115]。また、古いスタジオのため電源や録音車のコードを外部から通す穴がなく、ドアを半開きの状態で収録せざるを得なかった[263]。オーケストラは、コンサートとは異なり汚い音を出さねばならないなどの作業に当初は戸惑っていたが、次第に画にあわせて力強い演奏をするようになり、ラストでのエミーの別れの音楽ではフルートとハープが表情をつけすぎるなど、伊福部は薬が効きすぎたと評している[254][256]。
伊福部は、ダビング作業にも5日間立ち会っており、大森は音楽家とダビングを行ったのは初めてであったと述べている[47]。
冒頭の東宝ロゴでは、ピアノとティンパニの減七の和音による激しい楽曲が挿入された[254]。伊福部は、続く海底のシーンが静かな場面であったものの、静かな導入では前半がだらつくと考え、また東宝60周年でもあることから威勢のよい出だしとした[254][256]。
キングギドラのテーマは、飛行シーンや襲来シーンはシンバルのみとし、全身を表してからはホルンを中心としたフルオーケストラでの激しい演奏としている。伊福部は、オーケストラが脳震盪を起こしかねない緊迫感のある演奏になったといい、そのため長くはやらなかったと述べている[256]。
当初、伊福部は未来人のモチーフにはシンセサイザーを用いることを検討していたが、本作品の直前に手掛けた映画『土俗の乱声』でオーケストラにシンセサイザーをあわせたがうまくいかなかったため、本作品ではシンセサイザーを用いずピアノ、チェレスタ、ビブラホーンのアコースティック楽器3種類でのアトナルとした[出典 116]。エミーのテーマではハープなど古典的な楽器を用いてアコースティックなものとしている[257]。
ゴジラザウルスのテーマは、ゴジラのテーマとは似て非なる楽曲となっており、後半部は哀愁を感じさせるメロディとなっている[出典 117]。特撮パートで同じ曲が続いていたことから、毛色の異なるゴジラザウルスのテーマが札幌のシーンでも用いられた[263]。ドラットのテーマは、キングギドラの主題を4オクターブ上げ、未来人のテーマと同じくチェレスタ、ビブラホーン、ピアノを用いている[256]。
ラゴス島での日本軍の突撃ラッパについて、伊福部はドラマにあわせた音楽としてはテンポが遅いと感じたが、太平洋戦争での出兵経験者からは「これでいい」との評価を受けたという[254][256]。
ゴジラと新堂が対峙する場面では、伊福部は新堂が歩き出す場面から音楽を始めるという想定であったため、その直前のゴジラが接近する場面から音楽を始めたいという大森に対し「人間の音楽だから、怪獣に当ててもだめです」と言って反対しており、最終的にはゴジラは新堂の想像の姿だという想定で音を小さくすることで納得したという[47]。
後半の特撮シーンでは、伊福部の体力的な問題もあり、あらかじめ用意したゴジラのテーマやキングギドラのテーマのテンポ違いを選曲段階であてはめている[262][263]。
本作品のサウンドトラックは、平成VSシリーズでは唯一バンダイビジュアルから発売された[32]。販売元であるアポロンの峰松毅は、自身が最初に観た『モスラ対ゴジラ』(1964年)のインパクトを語り、リリース権を獲得したという[264]。録音費用を確保するためCD2枚組とし、2枚目は朝日ソノラマのソノシートをオマージュしたドラマ編とした[264]。 『ゴジラ』(1984年)では漫画雑誌『週刊少年ジャンプ』(集英社)とタイアップを行っていたが、本作品からは小学館の学年誌、『コロコロコミック』、『週刊少年サンデー』などとタイアップを行い、小学館との関係性が強化された[265]。同社の超全集もゴジラシリーズは本作品から発売された[85]。 写真ポスターのゴジラとキングギドラの瞳は色が暗かったので白目が描き加えられている[266]。もともとはゴジラの生物感を出すために前作から引き続いて、白目が分かりにくくなっていたが、それがきっかけとなり次作以降のゴジラは虹彩が明るく、瞳が分かりやすいように造形されるようになった[266]。 ワイドショー番組『森田健作の熱血テレビ』(テレビ朝日、1991年8月16日放送回)の取材で、特撮ファンとしても知られる俳優の京本政樹が新宿セットの撮影現場を訪れた[198]。
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