ゴジラvsキングギドラ
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大森は、未来人の演出は『地球防衛軍』のミステリアンをイメージしたと述べている[186][注釈 32]

田中から大森には、「全国をキングギドラが縦断し、破壊の限りを尽くす」という展開を加えるという注文があり、作劇においても「2回怪獣の対決を入れ、クライマックスは長めのバトルに」ということと「10分に1回の小さな見せ場と30分に1回の大きな見せ場を用意する」という2つが要求された[111]。川北は、『vsビオランテ』のビオランテとの最終決戦があっさりとしていたため、反省点として強く認識しており、撮影スケジュールの前半に最終決戦の新宿都庁戦を設定している[111]

新しいランドマークの破壊は、前作でもTWIN21で行われているが、全国的な知名度は高くなかったため、より強力なキャラクター性を持った建物として都庁が選ばれた[41]

なお、シノプシスでの仮タイトルは『キングギドラVSゴジラ(仮題)』とされており、脚本内のタイトルコール箇所では『ゴジラ3』と表記されていた[出典 105]。企画段階ではサブタイトルも検討されていた[32]

本作品は、9月に開催される東京国際映画祭での上映を目指し制作が進められた[215]。これは、撮影を夏に終えることで、公開までの宣伝・セールス期間を長くとるという意図もあった[215]

防衛庁の協力は前作よりも規模が広がり、陸・海・空すべての自衛隊が撮影に協力した[71]。富山によれば非常に協力的であったといい、打ち合わせは脚本への指摘事項を直すだけの2回で済んだという[51]
撮影

本作品では特撮パートが重視されており、従来の作品よりも怪獣の登場時間が長い[40]。ゴジラと対峙する新堂など、本編と特撮が相互に意識した演出も特徴である[40]。セットでの撮影は、本編班は東宝スタジオ第8ステージ、特撮班は第9ステージという使い分けが本作品以降慣例化し、隣のスタジオとすることで連携強化が図られた[71]。大森は、前作では普通の映画と同様にワンカットでの長回しを用いていたが、それでは特撮と合わない場面もあったため、本作品ではその反省からズームレンズを用いたりカメラを意識的に動かすなどして特撮のカットに近づけることを意図したと述べている[47]。また、前作では怪獣の戦いと人間のカーチェイスシーンが分離していた反省などから、網走のシーンでは怪獣の戦いとMOTHER内部での戦いをカットバックさせるなどしている[49]

本編撮影は関口芳則が担当し、前作の加藤雄大による風格ある雰囲気から、娯楽性のあるアクティブなカメラワークとなった[49]。撮影助手の清久素延は、本作品ではセリフにあわせて人物から人物へピントを送るピンティングが多かったと語っている[137]

撮影では、70mmフィルムによる移動マスク合成とハイビジョン合成を使用している[212]。合成シーンは、本編が70カット、特撮は200カット以上におよんだ[216]。新宿戦のシーンでは、フロントプロジェクションにより都庁前で戦うゴジラとメカキングギドラの手前に報道陣を合成している[146][196]

タイムトラベル時の衣装は、工務店向けのユニフォームのカタログから選んだものを用いている[49]。前作にも出演した佐々木勝彦は、本作品では前作よりも予算がかかっていることを感じていたが、この衣装に関しては金がかかっていないことがわかったと述懐している[84]。未来人が着用するヘルメットも、工事用のヘルメットを加工したものである[107]

本編班は1991年5月10日に伊豆でロケハンを行ったのち、5月11日に福岡の実景ロケでクランクインした[71][111]。キャストが参加しての本格的な撮影は6月17日から開始された[71]。クランクアップは8月13日であった[71]

寺沢邸の撮影は、元箱根の貸し一軒家で行われた[126]。未希と真崎が美幌駐屯地でゴジラとキングギドラの戦闘を目撃するシーンは、東宝スタジオ本館の屋上が用いられた[217]

首相官邸のシーンは茗渓会館で撮影されたが、撮影に時間がかかりデイシーンを夜になっても撮らざるをえず、装飾の遠藤雄一郎は照明が苦労していたことを述懐している[107]。寺沢が官邸にジープで乗り付けるシーンは実際の官邸で撮影しており、大森によれば当時首相であった海部俊樹の長男である海部正樹の伝手で実現したという[49]

MOTHERを包囲する自衛隊の戦車部隊は、陸上自衛隊富士学校で撮影を行ったが、霧を伴う雨天であった[126]。そのため、脚本ではヘリコプターとなっていた寺沢らの移動手段がトラックに変更された[49]。特殊視覚効果の小川利弘は、本編と特撮の天候の違いに悩み、特撮側のMOTHERのみを切り取り本編側の映像に合成した[218]。大森は、結果的に好天よりも格好良い雰囲気になったと述べている[49]。未来人と藤尾、土橋との初対面シーンも同学校のグラウンドで撮影された[126]

寺沢らがMOTHER内部で浮上するシーンは、ブルーバックで撮影された[126]。俳優陣は台の上に立って撮影しているが、土橋役の小林昭二は高所恐怖症のため多量の冷や汗をかいていた[126]。MOA美術館のロケでは、俳優を乗せた板をスタッフが手で持ち上げている[131][49]

M11とのカーチェイスシーンは、京浜島で撮影された[133]

避難する住民のシーンに、一部過去の作品の映像が流用され組み込まれている。

キングギドラが福岡を攻撃し、避難するシーン - 1989年公開の『ゴジラvsビオランテ』でゴジラが大阪を襲う可能性が高まり避難するシーンの一部[183]

ゴジラが札幌を襲う可能性が高まり避難するシーン - 1984年公開の『ゴジラ』でソ連の衛星から誤って核ミサイルが新宿へ向けて発射されたため地下へ避難するシーンの一部[183]

特撮

特撮は、第9スタジオで新宿副都心、福岡市街、札幌、綱走原野のセット、第7ステージで海底、本編のMOTHER内部の撮影をそれぞれ行った[219][220]


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