『ゴジラ1985』(英語名:GODZILLA 1985[222])のタイトルで、1985年(昭和60年)8月23日にアメリカ合衆国にて公開された。
原典にアメリカにて撮影された10分程度のシーンを追加した内容となっている[2][223]。かつて『怪獣王ゴジラ』に登場した新聞記者スティーブ・マーティン(演:レイモンド・バー)が再登場し[出典 73][注釈 58]、30年前にゴジラと遭遇した経緯を持つことからアメリカ国防総省へ招かれて再びゴジラの東京襲撃を目撃する場面が追加撮影され、いくつかの場面や効果音が短縮変更されるという再編集が施されている[223]。その後、日本でも字幕付きのビデオが発売された。
原典ではソ連軍人が誤作動した核ミサイル制御装置を止めようとして殉職するが、海外版では傷つきながらも最後の力を振り絞って核ミサイルの発射ボタンを押すという正反対の行動に改変されている。また、エンディングは「ゴジラ・愛のテーマ」ではなく、劇伴3曲(スーパーXのテーマ)と、アメリカで作曲されたと思われる音楽が組み合わされた楽曲となっている。
サウンドトラックは、トニー・ランデルの意向により原作の音楽に加えて、1985年公開の映画『Def-Con 4(英語版)』の音楽が流用されている[225]。
ドクター・ペッパーがスポンサーとなっており、当時のアメリカではゴジラが登場するテレビCMが放送されたほか、翌年に本編がテレビ放送された際にもCMが放送された[223]。興行的に成功するも、批評家の反応は低かった[223]。
アメリカ以外では、『The Return of Godzilla』のタイトルで原典の吹替版が公開された[2]。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
その他
出典検索?: "ゴジラ" 1984年の映画
ザ・ゴジラ・スペシャル
ジャンルバラエティ番組/特別番組
出演者武田鉄矢
沢口靖子
小林佳樹
田中健
夏木陽介
島田紳助
片岡鶴太郎
糸井重里
小倉智昭
他
製作
制作TBS
放送
放送国・地域 日本
放送期間1984年12月14日
放送時間金曜日19:20 - 20:54
放送分94分
特記事項:
19:20の『野生の王国』(MBS制作)と20:00のドラマ『東中学3年5組』は休止(『東中学』は翌週12月21日に最終回を放送)。
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『ザ・ゴジラスペシャル』[212]
本作品公開前日の1984年12月14日にTBSテレビで放送された公開記念特別番組[212]。本作品に出演した武田鉄矢と沢口靖子が司会を務め、同じく本作品に出演した小林桂樹や夏木陽介、制作スタッフ、昭和ゴジラシリーズに携わった宝田明や中島春雄がゲスト出演した[212]。内容は映画制作の舞台裏密着に加え、ゴジラに関するクイズに当時放送中だったTBS番組の出演者が挑戦する、ゴジラによるドッキリやタレントがゴジラに関するコントを行なうなど、バラエティ色豊かな2時間のものであった[212]。
『ゴジラが来る!』
2008年に日本映画専門チャンネルで放送された特別番組。本作品で昭和シリーズ(第2作『ゴジラの逆襲』から第15作『メカゴジラの逆襲』まで)の存在が否定されたことを(ジョークの一種として)ジョージ・オーウェルの小説『1984年』(小説の舞台でもあり、本作品公開の年でもある)になぞらえ、「管理社会が情報を抹消した」などと紹介している。
現実の三原山の噴火
本作品公開から2年後の1986年に、三原山が噴火した。本作品のラストシーンは、「ゴジラが三原山の火口に誘導されて落とされ、消息不明になる」というものだったため、「噴火はゴジラのたたりなのでは?」とささやかれた。また、噴火と共に「ゴジラ岩」が形成され、三原山の名物スポットになった[226][166]。本作品で描写された火口は噴火時に溶岩により埋まるなど、撮影当時とは山頂の様子は異なっている[166]。なお、本作品の地質学者の南による台詞に「マグマが外輪山を越えてふもとへ流れ出ることは無い」というものがあるが、現実の噴火では溶岩流出は外輪山の外側でも発生した。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 資料によっては、「107分」と記述している[15]。
^ 資料によっては、「330万人[4]」「388万人[30][31]」と記述している。
^ 書籍『大ゴジラ図鑑』では、本作品のタイトルを『ゴジラ GODZILLA』と表記している[42]。
^ 決定稿の脚本による[45][46]。自衛隊が集結するシーンの撮影は大井埠頭で行われ[47][46]、『東宝SF特撮映画シリーズVOL.1 ゴジラ』では特撮セットについても大井埠頭と紹介しているが[48]、『ゴジラ大辞典』ではこのシーンを晴海埠頭と解説しており[49]、監督の橋本もインタビューではゴジラの上陸地点を晴海と想定していたと語っている[47]。
^ 資料によっては、「1メートル弱[54]」「150センチメートル[60]」「50センチメートル[17]」と記述している。