ゴジラ_(1984年の映画)
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そのセット費用は井浜原子力発電所が8,000万円[121][170]、製作期間に2か月をかけた新宿副都心の高層ビルやその他のビル数130本、電球数200個の合計で1億5,000万円[137][注釈 54]。有楽町セットは2つのセットより精巧に再現されており、特技監督の中野昭慶は効果的に壊れるミニチュアの素材選びにもこだわっていた[137]。有楽町には東宝本社も所在することから、関係者らは看板まで再現した緻密なセットに驚嘆していたという[121]。実在しないバンダイの看板はタイアップにより設置された[46]。一方で、リアリティを重視した結果、破壊されたビルの関係者から抗議があったことを当時の新聞が報じている[39]

ゴジラの身長設定が変更されたことに伴い、従来のミニチュアが使用できなくなったため、すべて新規に制作された[200]。中野は、スケールの変更により高層ビル以外は従来のミニチュアより小さく、ディテールなどに苦労した旨を語っている[121]。当初はゴジラの身長は100メートルと設定されていたが、高層ビル以外のミニチュアが小さくなりすぎるため、特殊美術の井上泰幸は高層ビル以外のミニチュアを無断で本来の縮尺である1/50ではなく1/40スケールで制作し、ゴジラの身長もそれに合わせて80メートルという設定に改められた[213]

特撮班は1984年7月7日にクランクイン[205][39]、10月4日未明にクランクアップした[206][39]。スケジュールの都合などから、撮影途中から助監督の浅田英一を中心としたB班が立てられ、サイボットゴジラのシーンなど同時並行での撮影が行われた[132]

井浜原発のセットは、第9ステージに組まれた[205][170]。原発のシーンでは、ゴジラの周囲を取材ヘリが飛んでいる描写も撮影されていた[121]

有楽町および新宿のセットも第9ステージで組まれたが、撮影順は新宿の方が先である[214]。中野は、有楽町では色彩を、新宿ではゴジラの格好良さを出すことを、それぞれの狙いとした[214]。ビルのミニチュアには、シャンデリアや蛍光灯などの電飾が仕込まれたが、撮影助手の大川藤雄はその光のためカメラの調整に苦労したと述べている[170]。撮影中、ゴジラが踏み抜く石膏製の落とし穴の仕掛けをスタッフが踏み抜くトラブルがあった[138][注釈 55]

7月12日から17日にかけて、大プールにて大黒島の噴火シーンが撮影された[138]。島のセットはポリエステル製、上部から崩れる岩はカポック製である[138]。島が割れる描写は、エアシリンダーで表現している[46]

7月27日から8月2日にかけて、第9ステージに設営されたセットプールで埠頭のシーンが撮影された[46]。セットは強制パースをつけて遠近感を表現している[46]。撮影テストでは、発射したミサイルがホリゾントに当たったり、すぐに水に落ちてしまったりするなどの失敗があった[46]

8月15日から16日にかけて、御殿場のオープンセットで三原山の噴火シーンが撮影された[132]。撮影助手の大川藤雄は、同地にて映画『』(1985年)のセットが建設中であったため、その重機を借りて三原山のセットを設営したと証言している[170]。特殊効果助手の関山和昭は、火薬費は別予算であったと証言しており、オープン撮影は急遽決まったものであったと推測している[46]

8月24日から9月22日にかけて、第9ステージで新宿のシーンが撮影された[195]。当初は住友ビルを壊す予定ではなく、製作の田中友幸からの提案により追加された[139]。特技監督の中野昭慶は、破壊シーンが好きな田中からの切なる願いであったと述懐している[139]。ミニチュアも倒す予定ではなかったため鉄骨を入れた頑丈な作りとなっており、特殊美術助手の好村直行は不自然な倒れ方になったことが心残りであったと語っている[40]。核爆発の影響によって変化する空の様子は、照明によって表現している[162]

9月3日から13日にかけて、第2ステージで三原山のセットの撮影が行われた[206][注釈 56]。第2ステージは第9ステージよりも小さいため大きなセットが組めず、ゴジラの縮尺よりも小さくなっている[206]。三原山の火口の噴煙にはフロンガスが使われたが、中野はそれが加熱されると発生する塩化水素を本番直前に吸ってしまい、「用意!」の声の直後に数秒間失神していたという[206][181]。火口内の描写は、クランクアップ前(10月3日)に追加で第8ステージにて撮影された[出典 72]。溶岩の描写は、火口内のものは寒天、吹き出すものは水を用いており、照明で赤く見せている[132]

特撮班では火口のミニチュアセットを望遠レンズで撮影していたが、本編班では実景の火口をワイドレンズで撮影していたため、それぞれのカットで火口の大きさが違って見えてしまっている[47]。橋本は、田中からこの点について指摘されたといい、両班の連携の重要性を実感したという[47]

有楽町のシーンの撮影は、9月27日から10月2日にかけて行われた[40]。有楽町マリオンのミニチュアは、実物の建築図面をもとに、施工を担当した竹中工務店にも取材を行って制作された[121][40]。建物のガラス面にゴジラが映り込むという描写のため、ミニチュアではアクリルミラーが用いられた[40]。しかし、各企業のロゴや屋上の照明など設計に直接関係のない部分はわからず、東宝マークは撮影2日前に実物につけられたことから急遽ミニチュアにも追加された[121]。美術助手の好村直行は、オープン前なので東宝から建物を壊しては駄目だと指示されていたことを証言しているが[40]、特技監督の中野昭慶はゴジラが数寄屋橋交差点を踏み抜くシーンでやむなく壊したと述べている[139]


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