ゴジラ_(1954年の映画)
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2度目の襲撃時のルートは、芝浦岸壁 - 札の辻 - 田町駅前 - 新橋 - 銀座尾張町 - 銀座4丁目(松坂屋) - 数寄屋橋 - 国会議事堂 - 平河町 - 上野 - 浅草 - 隅田川 - 勝鬨橋 - 東京湾[注釈 76][注釈 77]

東宝の宣伝部や営業部により、製菓会社「森永製菓」、オートバイ会社「キャブトン」、電機会社「ユタカ電機製作所」、音響機器会社「オンキヨー」とのタイアップが行われた。それらの社名や製品を作品内に登場させる見返りとして、前売り券をさばいてもらった。

本作品のスチールとして、学生服姿の平田と河内が写ったものが残されているが、何の場面であるか詳細は明らかになっておらず、芹沢と恵美子の回想シーンであるという説と、平田が尾形役の候補であったとする説[238]が存在している[82]。本多は、本編のカットではなく、スチール用であると述べている[73]。また、ゴジラの2号スーツが完成した後、すぐに撮られたスチールでは、宣伝スチール撮りが俳優との契約になかったため、造形を担当した開米栄三が演じており、切り貼りやエアブラシによる各種合成はスチールカメラマンの田中一清が担当している[23][39]

のちに大橋史典はオリジナル怪獣『アゴン』を作った際、東宝から「ゴジラの盗作である」として訴えられた。しかし、本作品の造形に携わっていたということで、これは取り下げられたそうである[239]

怪獣映画というジャンルは1910年代から存在しており[240]スーパーマン作品である『北極巨人』(英語版)では、1942年の段階でゴジラ然とした怪獣の描写を取っている[241]。また、本作品はとくに『原子怪獣現わる』(1953年)から強い影響を受けている[155]。例えば、本作品の制作段階の仮題『海底二万哩から来た大怪獣』は『原子怪獣現わる』の原題『The Beast from 20,000 Fathoms』と酷似している(「Fathoms」は水深を示す単語)。また、「核実験で目覚めた古代の生物が灯台や都市を襲撃するが、架空の兵器で倒される」大筋もよく似ている[242][243]。また、一時期は『原子怪獣現わる』の怪獣「リドサウルス」が、「放射能性の炎」を吐くことが検討されたものの予算の関係で却下されたが、ゴジラの放射火炎(放射熱線)に影響を与えたのではないかとする説もある[244]レイ・ハリーハウゼン自身も類似性を指摘し、日本のゴジラを「filch(盗作)」だと表現している[245]
ジュラ紀の年代について
劇中の山根博士のセリフではジュラ紀を200万年前としているが、国際地質科学連合の国際層序委員会が公開した国際年代層序表によると、実際のジュラ紀は約2億130万年前から約1億4,500万年前の地質時代であって[246]、200万年前は現代と同じ第四紀である[246]。資料によってはこのセリフを誤りとしているが[247]、本作品中だけではなく香山滋による「G作品検討用台本[248]」、村田武雄本多猪四郎による「G作品準備稿[249]」および「撮影台本決定稿[250]」のいずれにも「今から凡そ二〇〇万年前 - 学問的には侏羅紀(じゅらき)と云う」と一貫して記されている。大阪市立大学大学院文学研究科助教授の田畑雅英は「香山滋は該博な古生物学の知識に基づいて数々の小説を著し、『秘境小説』の分野で独自の地位を築いた作家であることを勘案すると『200万年前のジュラ紀』と記したことが単純な誤謬によるものとは考えにくく、やはり何らかの意図を持ってこうした大胆な年代設定を行ったものと考えるべきであろう」とする[251]。香山の研究家である竹内博は「ゴジラの生息していたジュラ紀を人類最古の祖先アウストラロピテクスの誕生した200万年前と設定することで人類の歴史にゴジラをオーバーラップさせ、ゴジラとは人類自身の姿であることを香山は暗示しようとしたのではないか」としている[252][254]
海外版「怪獣王ゴジラ (映画)」を参照海外版『ゴジラ』が日本公開時のポスター

この作品は、アメリカのハリウッド資本に買い取られ、主演をレイモンド・バーとしてテリー・モース(英語版)監督のもと追加撮影が行われ[146]、再編集されたのちに日本映画で初めてメジャー系の配給網に乗せられ、1956年に『Godzilla, King of the Monsters!』(『怪獣王ゴジラ』)との題名で全米公開された[出典 80]。封切り後には4日間で1万7千ドル(当時)を稼ぎ出し、最終的に50万ドル(当時)を上回る興行成績となった。

海外版では、アメリカの新聞記者スティーブ・マーティンがカイロへ行く際に立ち寄った東京でゴジラに遭遇し、その体験を回想して語る形式になっている[出典 81]。マーティンが山根博士らと会話するシーンでは、似た服を着た俳優が後ろ姿のみで演じている[135][257]。追加撮影は、新撮カットも含めて数週間程度で終わったとされる。ただ、そういった改変の結果、ゴジラが出現する前に山根博士がゴジラについて語る、ゴジラが東京を進行する順番が異なるなど、本来の内容とは矛盾する点も多い[257]。また、ゴジラの体格を原典とは異なる「身長400フィート(約122メートル)以上」「建物30階ほどの高さ」と表現するシーンもある。

光学合成で焼き込まれた、ゴジラの光る背びれや口から吐く白熱光によって高圧送電線の鉄塔が溶け落ちるシーンは、海外でも大評判となった。本多によると、とくにこの白熱光を見たアメリカのバイヤーは「素晴らしいリアリズムだ」と絶賛し、すぐさま売買契約を申し込んできたという。

海外版は全米のみならず世界50か国で上映されて人気を呼び、400億円もの外貨を得る[注釈 78]と共に、怪獣「ゴジラ」の名を世界に轟かせた。スティーヴン・スピルバーグも少年時代に本作品を観て「どうして怪獣をあんなに滑らかに動かせるんだろう」と衝撃を受けたという。ただし、当時の時代背景に配慮したためか、「政治的な意味合い、反米、反核のメッセージ」は丸ごとカットされている[258]

元々は、アメリカで東宝作品の上映を推進する国際東宝の専務である鵜崎五郎が『七人の侍』とともにアメリカでのセールスを進めていたが、契約の根回しが済んでいた『七人の侍』に対して本作品の契約は難航していたことから、鵜崎の旧知であった元コロムビア・インターナショナル極東代表のエドモンド・ゴールドマンを介し、内容に手を加えても良いことを条件として2万ドルで販売された[146]。価格が安すぎることに東宝本社から抗議の声も挙がったが、東宝社長の小林富佐雄は宣伝料と考えれば十分なものと見なし、これを諌めたという[146]

当時の日本映画の海外契約は、すべてフィルムの買い取り形式であり、フィルムの編集権は売却先の興行側にあった。本多監督は「そういう契約だったから」とコメントしているものの、本来こういった監督の了解を得ない形での再編集は本意でないことも断っている。アメリカで正式な完全版が上映されたのは2004年になってのことであり[257]、そのテーマ性と完成度の高さが同地で絶賛されている。


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