東宝の重役陣もこの大成功に喜び、撮影スタッフらが重役室に招かれ、各館の興行レコードが次々報告される中、藤本真澄ら本社重役がビールや洋酒をふるまうという異例の待遇でこれをねぎらった。東宝では封切り劇場内で多数の児童にアンケートがとられ、ゴジラに同情する意見が多く寄せられた。観客からも「なぜゴジラを殺したんだ?」「ゴジラがかわいそうだ」という抗議の声があがった。宝田明も「ゴジラにシンパシーを感じた」「なぜ人間が罪のない動物を殺さなければならないのか、無性に涙が出るのを禁じ得なかった」と述べ[229]、脚本担当の村田も「ゴジラがかわいそうですよ」と語る[76]などスタッフにも同情の意見は多い。
一方、公開時の日本のジャーナリズムの評価はおおむね低く、「ゲテモノ映画」「キワモノ映画」と酷評されることも多かった[出典 78]。各新聞の論評でも特撮面では絶賛されているものの、「人間ドラマの部分が余計である」として本多の意図したものを汲んだ評価はなされなかった[230][注釈 75]。しかし、田中によれば当時、三島由紀夫だけが「原爆の恐怖がよく出ており、着想も素晴らしく面白い映画だ」「文明批判の力を持った映画だ」としてドラマ部分まで含めて本作品を絶賛した[出典 79]。著名人としてはのちに小津安二郎[232]、手塚治虫、淀川長治、水木しげるらが本作品を絶賛している。
作品は外国でも大評判となり、すでに特撮技術者として並ぶ者のなかった円谷英二の名が外国にまで広く知れ渡ることとなった。田中や本多は「まず欧州で認められ、米国で大ヒットしたことで日本国内の評価が定まったようだ」としている[141]。
漫画『サザエさん』では、朝日新聞1954年11月9日掲載分にゴジラを登場させている[19]。
1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故後、フランスでは本作品が再評価され、同国のテレビ局が黒澤映画『夢』(1990年)の撮影現場を取材した際に、同作品で演出補佐を務めていた本多に対してもインタビューを行っていた[233]。 特撮映画研究家の竹内博は、「演出・脚本・特撮のいずれをとっても最上の出来であり、これを超える怪獣映画は日本にないと言い切ってもよい」と述べている[235]。SF研究家の大伴昌司は、「不安やパニックの描写に優れ、本編と特撮とが融合している唯一の作品であって、核兵器反対というテーマを真正面から打ち出すなど映画史上にも残る傑作である。これ以降に出現したさまざまな怪獣映画は畢竟(ひっきょう)『ゴジラ』の蛇足に過ぎない」と評している[236]。また、竹内は大伴による評価について「この大伴の言葉が『ゴジラ』に対する最も的確な評価だと思える」と述べている[235]。 主要襲撃地点は小笠原諸島の大戸島(架空の島)、東京特別区。2度目の襲撃時のルートは、芝浦岸壁 - 札の辻 - 田町駅前 - 新橋 - 銀座尾張町 - 銀座4丁目(松坂屋) - 数寄屋橋 - 国会議事堂 - 平河町 - 上野 - 浅草 - 隅田川 - 勝鬨橋 - 東京湾[注釈 76][注釈 77]。 東宝の宣伝部や営業部により、製菓会社「森永製菓」、オートバイ会社「キャブトン」、電機会社「ユタカ電機製作所」、音響機器会社「オンキヨー」とのタイアップが行われた。それらの社名や製品を作品内に登場させる見返りとして、前売り券をさばいてもらった。 本作品のスチールとして、学生服姿の平田と河内が写ったものが残されているが、何の場面であるか詳細は明らかになっておらず、芹沢と恵美子の回想シーンであるという説と、平田が尾形役の候補であったとする説[238]が存在している[82]。本多は、本編のカットではなく、スチール用であると述べている[73]。また、ゴジラの2号スーツが完成した後、すぐに撮られたスチールでは、宣伝スチール撮りが俳優との契約になかったため、造形を担当した開米栄三が演じており、切り貼りやエアブラシによる各種合成はスチールカメラマンの田中一清が担当している[23][39]。 のちに大橋史典はオリジナル怪獣『アゴン』を作った際、東宝から「ゴジラの盗作である」として訴えられた。しかし、本作品の造形に携わっていたということで、これは取り下げられたそうである[239]。
第三者による評価
エピソード
ジュラ紀の年代について
劇中の山根博士のセリフではジュラ紀を200万年前としているが、国際地質科学連合の国際層序委員会が公開した国際年代層序表によると、実際のジュラ紀は約2億130万年前から約1億4,500万年前の地質時代であって[246]、200万年前は現代と同じ第四紀である[246]。資料によってはこのセリフを誤りとしているが[247]、本作品中だけではなく香山滋による「G作品検討用台本[248]」、村田武雄と本多猪四郎による「G作品準備稿[249]」および「撮影台本決定稿[250]」のいずれにも「今から凡そ二〇〇万年前 - 学問的には侏羅紀(じゅらき)と云う」と一貫して記されている。