ゴジラ_(1954年の映画)
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美術スタッフには、当時美大生だった成田亨もアルバイトで参加し、ミニチュアのビルの製作などを担当しているが、当初は彼ら美大のアルバイト[注釈 62]や出入りの石膏屋が図面を見ずに作っていたため、縮尺がばらばらになってしまった。美術監督の渡辺はこれに怒り、図面通りに全部やり直させている[167]。また、井上によれば、ゴジラの足をめり込ませるため道路を二重にしていたが、撮影前にスタッフが踏み抜いてしまうことが相次ぎ、修復に時間がかかったという[190][198]。歩道の鎖を張っていた鉄棒も鉄で再現していたが、着ぐるみが転んだ際に刺さりそうになるため、桐材のものに替えられた[140]。モノクロかつハイスピード撮影であることから、ミニチュアが本物通りの配色では暗く映ってしまうため、美術アルバイトとして参加した飯塚定雄は「本物より明るめに塗ってくれ」という指示であったことを証言している[205]

市街地のミニチュアがほぼ完成したころ、円谷が「生活感情を出してほしい」と要望したため[206][200]、カメラマンの有川の発案で糸ヒューズを使って都電や電信柱の電線を張り巡らせることとなった[190][注釈 63]。すでにスタッフは手一杯だったので有川ら撮影班が作業に駆り出されたが[190][200]、撮影に入ると照明の熱でヒューズ線が伸びてしまい、張り替えの連続だったという[206][200]。そのうちにスタッフは要領を覚え、カメラに映る範囲にのみ電線を張っていたところ、円谷は「俺が欲しいのは画面の外だ」と激怒した[200]

こうして本作品用に作られたミニチュアの総数は、当時の東宝スタジオメールでの発表によると、「建物500軒」「戦車10台」「大砲10門」「飛行機50機」「テレビ塔・高圧送電塔10基」「船舶20隻」「自動車18台」と膨大なものだった[171]。操演ミニチュアの素材は、ブリキと木材がほとんどであった[196]

国会議事堂の破壊シーンでは、実物がゴジラと同じ高さ(50メートル)なので、ゴジラの巨大さを表現するため、33分の1に縮小したミニチュアが作られた[出典 73]。ただし、撮影前に壊れたことから2個制作されている[23]。ゴジラに襲撃されるシーンは、ゴジラと炎をミニチュアの映像に合成している[191]

ゴジラの壊す日本劇場のミニチュアには、スタッフのお遊びで、『美女とゴジラ』と題した映画看板がかけられている[出典 74]。銀座和光ビルの時計塔は本番でうまく壊れなかったため、作り直して再撮影を行っている[209][注釈 64]。勝鬨橋のセットは、本物の図面を入手していたものの、そのままでは鉄骨が複雑であったため、入江により簡略化した図面が描き起こされた[203]。松坂屋のシーンでは、手前に合成するための雪印乳業のネオンサインがマットアートで用意されていたが、位置が合わず不採用となった[191]

ゴジラの吐く「白熱光」で溶け落ちる高圧鉄塔について、井上泰幸らは「円谷監督の指示で、を用いて作った」と語っているが[190]、有川は「使ったのはで、蝋やで作ったとか、なんでそんな話になってるのかわからない」と語っており[210]、美術スタッフと撮影スタッフで証言が食い違っている。なお、本多は「蝋で出来ていた[211]」「どんなに蝋を使ってどんな調合をしたのか知らない[211]」と語っているものがある一方で、「蝋と鉛を混ぜて作った[212]」とも語っている。

特撮の撮影に使用できたスタジオはホリゾントが低く、ローアングルのあおりでは天井が映ってしまうため、暗闇がホリゾント代わりになる夜間シーンや火を用いた撮影は屋外のオープンセットで撮影が行われた[158]。しかし、夜景が暗すぎると画面が見えにくくなってしまうため、夜景を明るくするようになり、映画の前半と後半でこれらを使い分けている[200]。また、本編での実際の夜空と特撮での照明で光量を調節できるホリゾントとでは明るさの度合いが異なり、有川はフィルム現像の焼き加減に苦労したと述懐している[200]

ゴジラの足跡で発見されたトリロバイトは、美術スタッフによってゴム製の5サイズのミニチュアが用意された。

八ツ山橋付近でゴジラの足に衝突してきた国鉄EF58形電気機関車の模型は、交通博物館から借りたものである[213][注釈 65]。客車は紙と木材で作られており、2021年時点で1両が現存している[214]

着ぐるみの倍の大きさで作られた足のみの造形物を用いるシーンでは、建物のミニチュアは1/12スケールで作られた[196]

海上シーンのため特撮用のプールがオープン用の敷地に作られた[215]
兵器類

東京湾でゴジラを追撃する戦闘機は、F-86F セイバー。2サイズの木製ミニチュアが数機作られている。このミニチュアは、その後も多数の作品で使用され、うち1機が2014年時点で現存が確認されている[216]

戦車隊は、M4中戦車およびM24軽戦車の2尺サイズの模型が使われた。円谷が「モーター類では一番強い」として買いそろえておいたジューサーミキサーのモーターを内蔵しており、人間を乗せて走れるほどしっかりしたものが作られた[190]。方向転換などはできず、ピアノ線で引っ張ってこれを行った[190]。発砲カットは、実際の火薬発火にマズルフラッシュと照り返しを作画合成し、白抜けのフィルムを挟むことで強調する演出が採られている。

155mm榴弾砲のミニチュアは、1990年代まで東宝の特殊美術倉庫に保管されているのが確認されていた[217]
音楽伊福部昭

本作品では作曲家伊福部昭による劇中音楽も評価が高く[218][219]、特にメインタイトルテーマ[注釈 66]は後の「平成ゴジラシリーズ」にも受け継がれている[注釈 67]

伊福部は、田中が製作した『銀嶺の果て』(谷口千吉監督、1947年)が映画音楽デビューで[218]、掛下慶吉の推薦もあり、同じ田中に見込まれての依頼だった。担当が決まり、本作品の製作発表で会見を受けた後、伊福部に対して、「ゲテモノ映画の音楽なんかやってると、仕事がとれなくなるよ」と、大真面目で忠告してくる人もいたという。しかし、伊福部は「とんでもない、と大乗り気でやりました」と語っている。これには伊福部自身が水爆実験の結果誕生したゴジラという怪獣に対し、戦後の混乱期に放射線障害を負っていた自分自身が重なり、「どうも他人事とは思えなかった」という意識もあったということを明かしている。


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