ゴジラ1985
[Wikipedia|▼Menu]



グッドホーエ将軍:ウォーレン・J・ケマーリング

ラーシェン大佐:ジェームス・ヘス

マクドノー少佐:トラヴィス・スウォーズ

オズワルド中尉:クロフォード・ビニオン

カイル・マーティン:ジャスティン・ガック

牧吾郎の声:トニー・プラナ

林田信の声:ポール・ウィルソン

奥村宏の声:アンディ・ゴールドバーグ

奥村尚子の声:ララ・コーディ(英語版)

ニュースキャスター/パイロット/政府官僚の声:グレゴリー・スネゴフ(英語版)

ゴジラ薩摩剣八郎



製作レイモンド・バー

1985年初頭、「東宝メトロ・ゴールドウィン・メイヤーユナイテッド・アーティスツとの間で1984年版『ゴジラ』の北米配給交渉を始め、数百万ドルの権利料を求めている」とアメリカの映画業界紙で報じられた。しかし、交渉が難航した結果、大手スタジオは交渉から離れ、最終的にインディペンデント映画の配給を手掛けるニューワールド・ピクチャーズが権利を取得した[2]。『ゴジラ1985』の製作費は権利料50万ドル、追加撮影費20万ドル、宣伝費250万ドルかかり、合計で320万ドルとなっている[7]

ニューワールド・ピクチャーズは北米配給に当たり、トニー・ランデルに追加撮影を依頼した。両者は1984年版『ゴジラ』は「どうしようもない滑稽な」作品のためアメリカ人受けが悪く、その「わざとらしさ」を強調することでしか興行的な成功は実現できないという考えで一致した。当初は映像をそのまま使用して台詞を英語に吹き替え、アメリカ人俳優を起用した追加シーンでコミカルな演出を行う予定になっていた[8]。脚本家にはリサ・トメイとストロー・ワイズマンが起用され、トメイは台詞の吹き替え、ワイズマンは新規シーンの脚本を担当した[8]。アメリカ版のタイトルは、ランデルが幼少時に好きだった『怪奇フランケンシュタイン1971(英語版)』(Frankenstein 1970)を参考に『ゴジラ1985』(Godzilla 1985)に決定した[8]

ニューワールド・ピクチャーズは追加シーンの主要キャストにローン・グリーンの起用を考えていたが、ランデルは『怪獣王ゴジラ』で主要キャストを演じたレイモンド・バーの起用を主張した[8]。これは、彼を起用することで「ゴジラ映画にレイモンド・バーが追加シーンに出演する」という形式をオマージュする意図があった[8]。ランデルによると、オファーを受けたバーは出演に乗り気だったが、出演契約を結んだ後に「奇妙な要求」をしたという。追加シーンの撮影は3日間かけて行われたが、バーは初日の撮影にしか参加せず、さらに8時間以上の撮影参加を拒否したため、監督はバーの出演シーンの撮影を優先し、他のキャストのシーンは後回しにすることになった[9]。また、バーは自分の台詞を覚えることを拒否して、スタッフの移動が制限されるのを承知で撮影セットの周囲にプロンプターを設置することを要求した[10]。さらに、「ゴジラは反核の寓話」というコンセプトを重視し、ゴジラをジョークとして扱わないように要求した。また、ウォーレン・J・ケマーリングもゴジラへのリスペクトではないもののコメディ描写を拒否したため、脚本を修正してコメディ描写はトラヴィス・スウォーズが主に担当することになった[8]。追加シーンは10分程度で、ペンタゴンの作戦会議室を舞台にしている[2]。撮影はロサンゼルスローリー・スタジオマリブの邸宅で行われた[8]。作戦会議室はニューワールド・ピクチャーズ製作の『フィラデルフィア・エクスペリメント』に登場する作戦会議室をモンタージュしている[8]

音楽は、小六禮次郎によるオリジナル音源も使用しつつ、クリストファー・ヤングによる楽曲も併用している[2]。エンドロールは、小六による楽曲のメドレーとヤングによる楽曲を組み合わせている[2]

ドクターペッパーがスポンサーになっており、同社は宣伝キャンペーンのために1,000万ドルの費用を投じた。また、追加シーンではアメリカ軍人たちが頻繁にドクターペッパーのジュースを飲む姿が描写されている[11][12]
評価
批評

『ゴジラ1985』は批評家から酷評されている。ロジャー・イーバートは1/4の星を与え、映画製作者が真剣に良い映画を作ろうと努力した場合のみ「バカバカしいが、それが良い」という成功を得ることができるが、『ゴジラ1985』は意図的に「バカバカしいが、それが良い」という成功を求めていたと批評している。その例として、劇中の台詞が一貫して破綻したものになっている点、吹き替えがキャストの口の動きと合っていない点、劇中のゴジラの全長が一貫していない点を挙げている。また、レイモンド・バーについても、物語にほとんど関わっていない点を指摘している[13]。サンタ・クルーズ・センティネル(英語版)のトム・ロンもバーの存在感のなさを酷評しており、「バカバカしいが、それが良い」という作品としては一定の成功を収めたと評価しているが、その魅力は前半の30分で尽きてしまい、「同じジョークを1時間繰り返して観るより、他にすることはないかと考え始めてしまう」と批評している[14]

ニューヨーク・タイムズヴィンセント・キャンビーは1950年代のゴジラ映画からテーマも特撮技術もアップデートできていない点を酷評しており、ゴジラの造形については「ゼンマイ式玩具のようで、小さな高層ビルの間を歩くのが好きな関節炎の幼児のような動きをしている」と酷評し、ストーリーについては「この小さな物語には純粋なロマンスと、不思議なほどに純心だが悲劇的な怪獣から学ぶべき教訓が多く描かれている」と批評している[15]。ナーディスト(英語版)のウィットニー・セイボルドは日本版から多くのシーンをカットした点やアメリカ版オリジナルの曲を追加した点を批判したが、日本版のゴジラが原子力の危険性を象徴しているのに対し、『ゴジラ1985』のゴジラは冷戦の象徴に変化しており、戦争のメタファーとしては『ゴジラ1985』の方が1954年版『ゴジラ』のテーマに近くなっていると批評している[12]
ノミネート

映画賞部門対象結果出典
第8回スティンカーズ最悪映画賞
(英語版)最悪作品賞ゴジラ1985ノミネート[16]
第6回ゴールデンラズベリー賞最低助演男優賞レイモンド・バー[17][18]
最低新人賞サイボットゴジラ

ソフト化

『ゴジラ1985』はアメリカで何度かVHS化されている。1980年代にニューワールド・ピクチャーズから初めてVHSが発売され、1986年3月までに9万枚を売り上げ、総売上719万5,500ドル、卸売収益450万ドルを記録した。これは、当時のニューワールド・ピクチャーズが発売したVHSの中で最も高い売上記録の一つである[19]。2度目のVHS化は1992年にスターメイカーから、3度目のVHS化は1997年にアンカー・ベイ・エンターテインメント(英語版)から発売された。これらのVHSには短編アニメーション『バンビ、ゴジラに会う』が収録されている。1984年版『ゴジラ』はクラーケン・リリーシング(英語版)からDVD、Blu-rayが発売されているが、『ゴジラ1985』のDVD、Blu-rayは発売されていない。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 資料によっては、スティーヴ・マーチンと表記している[4]

出典^ a b c d e ゴジラ大百科 1993, p. 144, 構成・文 中村哲「ゴジラ映画海外版大研究」


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:57 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef