ゴジラの逆襲
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この特徴は、『キングコング対ゴジラ』(1962年、本多猪四郎監督)のゴジラ(通称「キンゴジ」)に近似しており[116]、特撮ライターのヤマダマサミは、頭の形状からこのスーツが『キングコング対ゴジラ』のゴジラの原型となったのではないかと推定している[117]。その後、スーツの消息は明らかになっていない[25][116]。デザイナーのポール・ブレイズデルは映画『暗闇の悪魔(英語版)』の制作中に倉庫でゴジラとアンギラスの着ぐるみが入った木箱を目撃したと証言しており、ハワード・A・アンダーソン・ジュニア(英語版)から「インサートを撮るのに使う予定だ」と説明され、箱からゴジラの着ぐるみを取り出して見てみたが、アメリカ人が入ることが出来ない小さいサイズで、損傷が激しかったと述べている[108][注釈 22]

やがて、1958年に権利がポール・シュライブマン、エドモンド・ゴールドマン、ニュートン・P・ジェイコブスらに渡り[108]、最終的には追加撮影分のないままアメリカ側で再編集される形で完成した[118][110]。再編集版は『Godzilla Raids Again』という『ゴジラの逆襲』を直訳した仮タイトルで製作されており、東宝は計画を変更するならば予定されていたタイトルを変更してこちらのタイトルを使用し、「Godzilla」の名を冠することを希望したが、前述の権利問題と、アメリカの配給会社が「前作で死んだゴジラが生きていた、というのは観客が納得しない」「観客に安易な続編と思われる」と難色を示したために叶わず[要出典]、「ゴジラ」の名前は使用されないまま、「GIGANTIS」(ジャイガンティス)[注釈 23]の名で別の怪獣として設定され[出典 45]、『GIGANTIS, THE FIRE MONSTER』(直訳:炎の怪獣ジャイガンティス。略称 - GFM[108])として公開された[出典 46][注釈 24]

1959年1月に『GIGANTIS, THE FIRE MONSTER』の近日公開が報じられた際、シュライブマンは「この映画はゴジラの2作目である」と述べている[108]

ドライブインシアターチェーンを経営していたパシフィック・シアターズのビル・フォアマンが『GIGANTIS, THE FIRE MONSTER』と『宇宙からの少年(英語版)』の権利をシュライブマンから買い取ってワーナー・ブラザースに売り込み、4年間のアメリカおよびラテンアメリカ地域での配給権を販売[108]1959年5月21日に2本の映画は同時上映で公開された[118]

フォアマンの顧問弁護士であったハリー・B・スワードローは「ワーナーは上映用フィルムのプリント代と宣伝費用しか負担していない」と述べている[108]。フォアマンがこの映画の権利者となることを望まなかったため、スワードローが権利者となった[108]

東宝が作成した『Godzilla Raids Again』のポスター

ジャイガンディスゴジラのスーツ(1957年)

『GIGANTIS, THE FIRE MONSTER』のポスター(1959年)

海外版では、前作のような大幅な登場人物の追加は無いものの、タイトルロールの背景は炎上する大阪市街に変更されており、冒頭の水爆実験や核ミサイル発射、恐竜の生態、芸者による三味線の演奏、ラストシーンの宮城遥拝する民衆など、既存の記録映像から流用されたシーンが追加されている[出典 47]。ゴジラは前述の通り「GIGANTIS」、アンギラスは「ANGURUS」[注釈 25]の名称になった。

当時のアメリカ映画界の慣習に従って音楽が変更されている[114]ほか、台詞はすべて英語で吹き替えられた。新聞が登場するシーンは『The Osaka Times』と『The Japanese Times』という架空の英字新聞に変更されており、小林が漁船に投下した手紙のアップも、筆記体で書かれた英語の手紙のアップで代替されている。出演者は以下の通り。

月岡正一 [110] - ケイ・ルーク

ラジオアナウンサー - ジョージ・タケイ

小林弘治[注釈 26]、山路耕平[112]、他脇役 - ポール・フリーズ

ナレーター[118] - マーヴィン・ミラー

スタッフ[118]

エグゼクティブ・プロデューサー - ハリー・B・スワードロー

プロデューサー - ポール・シュライブマン

アソシエイト・プロデューサー - エドモンド・ゴールドマン

ミュージックエディター - レックス・リプトン

サウンドエフェクトエディター - アル・サーノ

アディショナル・ミュージック - ポール・ソーテル、バート・シェフター

監督・編集 - ヒューゴ・グリマルディ

音声 - ライダー・サウンド・サービス

吹き替え用原稿を作るために翻訳する際、「バカな」という日本語の台詞の口に合う英単語が直訳では見つからず、口の動きが似ている「バナナオイル」 (banana oil) という単語が使われたが、該当シーンにおける日本語の「バカな」とはニュアンスの異なる単語であったうえに「バナナオイル」の響きがシーンと合致しておらず、さらに「バナナ」という単語の持つスラング的な意味もあって、「不適切な訳」として不評であった[注釈 27]。怪獣の鳴き声が日本版から変更されており、ジャイガンティスには日本のアンギラスの鳴き声の効果音が、アンギラスには日本のゴジラの鳴き声の効果音がそれぞれ使われた[121]

公開後、1960年代前半まではテレビで放送されたことはあったが、ワーナーの権利が切れた後、ハリー・B・スワードローがリバイバル上映およびテレビ放映に興味を示さなかったことや、放送の打診なども無かったため、アメリカ版はその後長らく劇場公開・テレビ放映ともに行われない幻の作品となっていた[108]。1980年代になり、東宝が権利を買い戻してアメリカで発売された映像ソフト版では、タイトルは東宝の要望で『Godzilla Raids Again』に変更されており[注釈 28]、以後の海外編集版・日本オリジナル版ともにこの名称で流通されている[118]
ディスコグラフィー

「ゴジラさん」(
ビクターレコード[122]

公開年の6月に「ビクターレコードの傑作盤」と銘打たれて発売されたSPレコードで、青木晴美が歌う、お座敷小唄風のコミックソング[20]。B面「うちのアンギラス」は野澤一馬とのデュエット[122]


小説版

香山滋によって執筆された「原作」は、小説としても出版された。

『ゴジラ 東京・大阪編』(1955年7月20日、島村出版・少年文庫)

『ゴジラ』と『ゴジラの逆襲』の映画脚本をアレンジ[123]。本作品を基にした「大阪編」は、アンギラスが白熱光を吐く描写がある以外は映画と大きな差異はない[123]


『ゴジラ 東京・大阪編』(1976年9月10日、奇想天外社)

島村出版の小説の復刻版。小学館・スーパークエスト文庫、筑摩書房・ちくま文庫などからも復刊された。


ゴジラとアンギラス(1997年・岩崎書店)

漫画版

公開前後に漫画化され、各社から発行された。同年6月の『三年ブック』(学研)に、「秀文社が『ゴジラの逆襲』の漫画版を発売」との予告があったが、実際に発行されたかは不明。

『ゴジラの逆襲』(1955年4月25日、黎明社)

『ゴジラの逆襲』(1955年5月、講談社[124]

少年クラブ」5月号別冊付録。原作:香山しげる、絵:湯川久男。


『大あばれゴジラ』(1955年6月、集英社


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