興行面では、宣伝部によってトラックに等身大のゴジラとアンギラスの作りものをジオラマ風に飾り付けた宣伝カーが用意され、撮影所でのイベントと併せて都心一円を巡回し、大いに話題となった[96]。興行館側も劇場前に両怪獣の巨大な張りぼてを飾り、派手な宣伝が行われた様子が写真資料に残されている。また、前作同様のラジオドラマも制作・放送された(#ラジオドラマを参照)。劇中の「海洋漁業KK」関連の描写には、大洋漁業がタイアップ協力している。
特撮・美術撮影風景
本作品は、それまで「特殊技術」との名目のみだった円谷英二に特技監督の役職が冠せられた[出典 35]。有川貞昌は前作『ゴジラ』の成功により、それまで本編の添え物的扱いだった「特撮班」が、ようやく正当な待遇を受けられるようになったと述懐している[97]。造形助手の開米栄三は、前作では造形の作業場から撮影所までゴジラのスーツをリヤカーで運んでいたが、本作品以降はトラックで運ぶようになるなど、前作のヒットによる待遇の変化を感じたという[100]。
前作では東宝内に特撮用ステージが無く、狭いスタジオに工夫を重ねてセットを組んでいたが、本作品ではこれも前作での成功を受け、特撮用に「第8ステージ[注釈 13]」が新設されていて、このステージ一杯に、1/25スケールの大阪市街のミニチュアセットが組まれた[出典 36]。以後、大規模なミニチュアセットによる撮影が東宝特撮の基本となった[35]。大阪湾・大阪市役所・淀屋橋・北浜・大坂城と、各名所でロケハンが行われ、実景写真に合わせた精巧なミニチュアが作られた[34]。本編班の実景ロケは朝日放送[注釈 14]前でも行われ、特撮班もこれに立ち会っている。前作ではビルの窓に本物のガラスを用いて苦労したため、本作品では顕微鏡のプレパラートに用いるスライドガラスを用いたが、こちらは小さすぎて苦労したという[103]。大阪市庁舎のミニチュアは、当時学生であった成田亨が手掛けており、上部をもろく作っておくことでねじれるように壊れていくという工夫がなされた[37]。
高さ約2メートルの大坂城のミニチュアは、50万円(当時)をかけて約1か月で作られた[出典 37]。丈夫に作り過ぎたあまり、本番でゴジラが体当たりしてもうまく崩れてくれず、NGとなった[34][注釈 15]。続いて改修し、裏からワイヤーで引っ張って壊れる算段としたが、スタッフがゴジラの襲撃前にタイミングを勘違いしてワイヤーを引き、壊してしまった[出典 38]。結局、半壊したミニチュアを2日間かけて修理し[34]、再度撮影を行っている。だが、取材陣はこのアクシデントに大喜びして報道し、怪我の功名で宣伝は大成功となった。
クライマックスの氷山は、オープンセットに高さ10メートルのものが作られた[12][101]。撮影時期は真冬ではあるが、本物の氷が製氷業者から200トン分も運び込まれ[12]、借りてきたベルトコンベアーで細かく粉砕したものを敷き詰めている[34][29]。さらに、ゴジラが氷に埋まるシーンでは、後楽園遊園地のスケートリンクから借りた製氷器で作った氷雪が使われた[97][101]。このシーンでは、セットの下でゴジラの口を操作していた開米栄三が生き埋めになっており、大した怪我はなかったが[105]、周囲に気づかれず死ぬ思いであったという[100]。開米は、セットの足場に用いた二重が廃棄寸前の古いものであったためと述べている[100]。有川は、雪山では対比物がないために勘で撮影するしかなく、結果としてゴジラが小さく飛行機の方が目立ってしまったと述懐している[97]。
円谷英二の長男である円谷一が前作に続き、撮影助手として特撮班に加わっている。学習院大学理学部物理科生という経歴から、英二に「特撮に使えるいい素材は無いか」とつねづね相談されていた一は、ガラスを特殊コーティングした「ハーフミラー」を創案し、特技監督の英二によって合成画面に使用されて効果をあげている。
ゴジラとアンギラスとの格闘シーンは当初、3倍の高速度撮影で撮る予定だったが、撮影助手[注釈 16]が撮影速度のコマ数設定つまみを間違え、微速度撮影(コマ落とし)にするミスをしてしまい、異様に素早い怪獣の動きとなったフィルムが編集で上がってきた[出典 39]。ラッシュを確認した有川貞昌は担当者を怒ったが、円谷英二はこの素早さが野獣の格闘らしいと面白がり、コマ落としの手法のまま両怪獣の撮影が進められた[出典 40]。この手法は、以後の怪獣映画作品でも取り入れられた[101][102]。高速度撮影ではカメラに特注モーターを取りつける必要があったため、結果として操作は楽になった[97]。戦いの描写は、闘犬を参考にしている[出典 41]。
特撮の現場を見学していた土屋嘉男によれば、ゴジラとアンギラスが水中で戦うシーンでは、2体が激しく格闘していたところにプールへ電気が流れ、両者が感電する事故があったという[55]。
大阪のシーンはナイトシーンとしても暗い画面になっており、川北紘一は着ぐるみによる演技を隠す意図のほか、フランス映画の影響を受けてコントラストを少なくしているものと推測している[101]。書籍『ゴジラ来襲』では灯火管制下の戦いにリアリティを与えていると評価しているが[6]、書籍『ゴジラ大辞典』では画面の暗さを本作品の難点に挙げている[33]。
神子島のシーンで偵察機からの俯瞰のゴジラは30センチメートルのゼンマイ人形が作られた[34]。撮影中に中島春雄は同じ型から人形を作成・着色し、撮影後も自宅に飾っている[107]。
パイロットを主人公としていることから空撮シーンが多いが、飛行機からの空撮は円谷英二が自ら行った[出典 42]。
有川によれば、前作のように時間の都合から合成に逃げるということがなく合成が少なくなったため、徹夜の作業も減ったという[97]。 公開当時の映画評では、前作よりも本作品の方が高く評価されていた[90]。これについて本多は、当時のマスコミは監督が映画の中に自身の主張を入れることに否定的な風潮であったといい、本作品に対する評価はそのことが反映されたものと推測している[90]。
評価