ゴシック・ロック
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1983年にリリースされたSex Gang Childrenのファーストアルバム『Song and Legend』は、ポジティヴ・パンク[注 3]と呼ばれイギリスのインディー・チャートで1位を獲得した[16]

ロンドンにあるSpecimenが主催する「Batcave」は、イベントなどの開催場所を与えることでゴス・シーンに貢献した。ゴシック・ロックバンドのメンバーやその取り巻き、及びファンは「Batcave」に集まり、ゴス・クラブのプロトタイプをつくっていった。1983年までイギリスの雑誌は「Batcave」や他の類似する会場をとりあげ、ゴシック・ロックシーンを紹介した。
ドイツ・オーストラリア

バウハウスやクリスチャン・デスが自分たちの国でバンドを結成させていたその頃、Geisterfahrer、Xmal Deutschland、Leningrad Sandwich、Malaria!、Belfegore、Pink Turns Blue、Girls Under Glassといったバンドがドイツで結成されていった。また毎年、ドイツのライプツィヒではダーク・ウェイヴ&ゴシック・フェスティバルである、Wave-Gotik-Treffenが開催された。

オーストラリアでは、ニック・ケイヴのザ・バースデイ・パーティ(1979年になって活動拠点をロンドンに移転)がゴス・シーンに影響を与えた。
日本

日本では現地のパンクシーンを体験しようと渡英し、バウハウス等のゴシックロック勢に衝撃を受けた元MARIA023のジュネが結成したオート・モッドがいわゆる日本のゴシック・ロックの始祖となった。オート・モッドは布袋寅泰等のメンバーを擁しながら1985年まで活動をした。また、彼らのシリーズギグ「時の葬列」においてはG-SCHMITT、Madame Edwarda、SADIE SADSなどが知られている。他方トランス・レコードにおけるASYLUMSODOMZ.O.Aのほか、PHAIDIA(RUINS吉田達也在籍)などのバンドが活動した。
第2世代

第2世代のゴスの波の中で、そのゴスという単語とスタイルが『The Face』や『NME』といったイギリスの主要紙に注目されるようになっていった。また、ゴシック・ロックによってゴス・サブカルチャーも広まっていった。1980年代を通して、ヨーロッパのゴス文化とデスロック・ムーブメントと、ニューロマンティックとの融合がしばしばあった。

1980年代のオルタナティブ・ロックの幕開けは、ゴシック・ロックの幕開けをも意味し、将来を期待されていたミュージシャンにシスターズ・オブ・マーシー、Fields of the Nephilim、Rozz Williamsが脱退した新生クリスチャン・デス、元シスターズ・オブ・マーシーのウェイン・ハッセイ(英語版)率いるザ・ミッション(英語版)、Mephisto Walz、そしてクリスチャン・デスの作曲とギターを以前担当していたBarry Galvin(通称・Bari-Bari)などがいた。

シスターズ・オブ・マーシーのデビュー・アルバム『マーシーの合言葉 (First and Last and Always)』はイギリスの音楽チャートトップ10に入りを果たした。

Clan of Xymox、デッド・カン・ダンスコクトー・ツインズといった4ADレコードのミュージシャンの楽曲は、イギリスの大学やラジオ局でオンエアされた。

デペッシュ・モードが体現した、ゴスとポップとインダストリアルの融合とシンセサイザーを使用した楽曲は、Camouflage、Secession、Celebrate the NunやRed Flagといったシンセポップのミュージシャンに影響を与え、ついにゴシック・ミュージックはクラブ・ミュージックとつながりを持ち、シンセポップ感がゴシック・ロックの中に現れ出した。
第3世代2012年にポーランド・ボルクフ(英語版)で開かれたゴシックイベント「Castle Party」における火吹きパフォーマンス

1990年代に入っても、イギリスからはChildren on Stun、All Living Fear、VendemmianやRosetta Stoneといった新人バンドが現れ、 The Cruxshadows、The Last Dance、Sunshine BlindやThe Shroudも活動を開始した。

ドイツでは、Apocalyptic Vision、Apollyon Rekordings、Deathwish Office、Dion Fortune、Glasnost Records、Hyperium Records、Sounds Of DelightやTalitha Recordsといったレコード会社が、Love Like Blood、Mephisto Walz、The Merry ThoughtsやTwo Witchesといったバンドの楽曲を収録したゴシック・ロックのコンピレーションアルバムをリリースした。

1990年代半ばから後半にかけて、大手レコード会社(特にアメリカやドイツ)では、‘ゴシック・バンド’や‘インダストリアル・バンド’として、マリリン・マンソンエヴァネッセンスウィズイン・テンプテーションといった実際はゴシック・ロックのミュージシャンとして活動していないハードロックヘヴィメタルの人気バンドを扱いだした。またアメリカのマスコミはゴス文化とコロンバイン高校銃乱射事件に関連性があると指摘し中傷した。

2000年に入ってから、一部のゴス・ロックファンが1980年代の第1世代のファッションや音楽をとりあげ、リバイバル・ムーブメントに参加するようになる。Cinema Strange、QuidamやBlack IceといったDeathrock.comというウェブサイトに関係するバンドは第1世代のゴシック・ロックのスタイルへの回帰に貢献し、ニーナ・ハーゲンは2005年にニューヨーク市で行われたDrop Dead Festivalで大々的に活躍した。

チェリー・レッド・レコードがヨーロッパで初期のゴス・ロックのCDを再発している一方、Dancing FerretやProjekt Records、Metropolis Recordsはアメリカの市場でゴス・ロックの楽曲を発表し、新たなゴシック・ミュージックがStrobelight Recordsといったヨーロッパのレコード会社からリリースされている。

このように、2011年現在はゴシック・メタルオルタナティヴ・メタルとの交わりで本来の意味合いが失われつつあったゴシック・ロックであったが、ザ・ホラーズの登場により、再評価が成され始めている。他にもアリエル・ピンクズ・ハウンテッド・グラフィティやセレナ・マニッシュなど第一世代のゴシック・ロックに影響を受けたアーティストが登場しつつある。
ファッション

ゴシック・ロックバンドの衣装は、19世紀のゴシック文学やホラー映画の影響をうけており、これらほどではないが、BDSM文化からの影響もある.[17]

ゴシック・ファッションは、デスロック(英語版)、パンクロック両性具有といったサブカルチャーを内包しつつも、ヴィクトリア朝ファッションルネッサンスならびに中世の服装を基にしたり融合させたりするファッションであり、服装やメイクや髪を黒くすることがほとんどである[18]


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