コーンウォール語
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これに対し、サマセット公エドワード・シーモアは、理解できないという点ではラテン語も同じであったのに、なぜ英語での礼拝だけを拒むのか質問した。多数の犠牲者やその後の報復行為、英語版祈祷書の導入により、祈祷書反乱はコーンウォール語にとっての転換点となった。なお、反乱の前からコーンウォール語の話者人口がすでに減少しており、そのため反乱後の話者減少がより顕著になった可能性を示唆する最近の研究もある。

近現代コーンウォール語は、先のルイドが1702年に発表した研究対象となっている。近現代のコーンウォール語は中世ごろに使われていたそれよりも文法や基本構造が簡単であるなどという点でかなり異なっている。近現代語では用いられない修辞句が、中世語では広く用いられていたことも認められている。このような差異は語順の違いにも影響したと考えられている。また、中世語には2つの時制の用法があったとされる。

コーンウォール語のみ使用していた最後の人物は、1676年に亡くなったチェステン・マーチャント(Chesten Marchant)だとされている。また、コーンウォール語を流暢に話すことができた最後の母語話者は、ペンザンスから4km南のマウゼルの住民であったドリー・ペントリース(英語版)だとされることが多い[2][3]。彼女が1777年12月に亡くなった際の最期の言葉はコーンウォール語で“Me ne vidn cewsel Sawznek!”、すなわち「私は英語を話したくない」とされているが[4]、実際は英語も多少かそれ以上話すことができた。コーンウォール語は18世紀に一度死滅したと考えられていたが、実際には19世紀後半を通じ、わずかな話者が、限定的にではあるがコーンウォール語を使用していたことを示す史料があり、1875年には60歳代の6名の話者が確認されている。その後もコーンウォール語の痕跡は残っており、ウェスト・ペンウィズの漁師は魚を数えるのにコーンウォール語に由来する文句を20世紀に至るまで使用していた。
文法

コーンウォール語はインド・ヨーロッパ語族ケルト語派に分類される。また、他のケルト語と文法的に多く共通する部分がある。それらを以下に示す。

語頭子音の変化 語頭の音は文法構造により変化しうる。この変化はウェールズ語では3種類、アイルランド語では2種類なのに対し、コーンウォール語では以下の4種類がある。

語頭のbがvなどに変化する(軟音化)

語頭のbがpに変化する(硬音化)

語頭のbが変化しない。また、語頭のtがthに変化する(気息音化)

語頭のbがfに変化する(混合変化)

コーンウォール語における語頭子音の変化子音
原形軟音化気息音化硬音化混合変化
pbf
tdth
c, kgh
bvpf
ddhtt
g1消失c, kh
g2wc, kwh
gwwqwwh
mvf
chj

1非円唇母音、lおよびrの前
2 円唇音およびrの前

活用した前置詞 前置詞は人称代名詞と結びつき分離した語形になる。たとえば、gen meはgenamになり、gen evはganjoになる。この場合、前者は英語でwithまたはbyに相当するgenが、meに当たるmyと結合してgenamに、後者ではhimに当たるevが結合してganjoになっている。

そのほかにも無不定冠詞など。
脚注^ 原聖 編 編、米山優子 訳「ケルノウ語復興の現状」『ケルト諸語文化の復興』三元社〈ことばと社会:多言語社会研究 / 「ことばと社会」編集委員会編 別冊 4〉、2012年4月。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 978-4-88303-309-6NCID BB08840458。全国書誌番号:22075478。 
^ “Dolly Pentreath”. A History of the World. BBC. 2017年7月30日閲覧。
^"Pentreath [later Jeffery], Dorothy [Dolly]". オックスフォード英国人名事典. オックスフォード大学出版局. 2017年7月30日閲覧。
^ Van der Kiste, John (2013), The little book of Cornwall, Stroud, Gloucestershire: History Press, p. 40, ISBN 9780752480954 


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