コールド・ウェイヴという用語の初出は1977年11月26日に発売されたイギリスの音楽誌Sounds
の表紙である。クラフトワークのラルフ・ヒュッターとフローリアン・シュナイダーが写っている写真の下に、"New musick: The cold wave"と書かれている。この年、クラフトワークはヨーロッパ特急をリリースしている[5]。コールド・ウェイヴという言葉は次の週に発売されたSounds誌のスージー・アンド・ザ・バンシーズに関する記事の中で、ジャーナリストのVivien Goldmanによって再び使われている[6]。1977年に、スージー・アンド・ザ・バンシーズは自分たちの音楽性を「冷たく、機械的であると同時に、情熱的でもある」と表現している[6]。Sounds誌はバンドの将来性について、「70年代から80年代へ向けてコールド・ウェイヴが轟音を立てて突き進んでいく音に耳を傾けよ」と予言している[6]。黎明期のコールド・ウェイヴバンドの歌詞は英語ではなく、その作品もアメリカ国内では販売されないことが多かったが[7]、1980年代初頭になるとフランスやベルギーで英語で歌う新たなシーンがうまれた。Viceによれば、その中でももっとも著名なアーティストはMarquis de Sade、アサイラム・パーティ(英語版)、Twilight Ritualであるという[7]。
表
話