コーラ_(飲料)
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コーラに含まれるカフェインは、元々はコーラの実のエキスによるものであったが、コスト的な問題もあり、今日では茶葉から抽出された物が主に利用されている。しかし、銘柄によってはいまだにコーラの実も使われている。

なお、これらとは別に全くカフェインを添加していない製品も散見される。ただ単にカフェインを添加していないだけであっても、そのような製品は「カフェイン0」などと標榜されている例が見られる。
特殊な成分

一般的なコーラには用いられない成分ながら、例えばゲンチアナを加えて苦味を出したオーヴェルニャ・コーラのような特殊なコーラも存在する。また、酒類ではない一般的なコーラの中にも香料の溶媒などとして用いられているエタノールが極微量含有されている例が見られる他に、酒類の中にはコーラの風味を持たせた製品も存在する。
各国の状況
世界

非常に多様なコーラ風の清涼飲料水が世界各地に存在しており、またそれらが様々な風味であることから、人によっては特定企業の製品を好んで飲用することもある。この風味の違いは、同じ会社の製品であっても年代により様々な変化を見せるが、これは各々の会社が時代の流行を反映していることに起因する。ただしそうした企業戦略は、旧来のファンが味の変更を嫌い、競合他社に切り替えるというリスクも同時に伴うことになる。各社のシェア争いは熾烈を極め、外食産業チェーン店や国際イベントでの採用を巡っては、様々な営業上の駆け引きも行われ、その熾烈さもあって「コーラ戦争」と形容されることもある。
アメリカ

アメリカにおけるコーラ戦争においては主要メーカーにより莫大な広告費が掛けられるのが通例で、近年では全米規模でGPSを使って懸賞賞品をその場にお届けなどといった社会現象さえ巻き起こしている。またボトルキャップフィギュアなどの、後にコレクター市場が成立するようなアイテムの付録が付くといったイベントも度々行われている。
日本

1914年(大正3年)に発刊された高村光太郎の道程においてコカコーラが紹介されている[2]

1960年代には日本においてもコーラブームが到来し、当時、全国各地に散在した中小飲料メーカーが「コーラ」と名の付く製品を次々と発売した[注 2]。しかし、コカ・コーラに代表される大手メーカーには到底及ばず、多くの業者が比較的短期間でコーラ製造から撤退した。「クラフトコーラ」も参照

一方で、「しずおか茶コーラ」(静岡県島田市)、「金沢カレーコーラ」(石川県金沢市)、黒糖を使った「ブラックケインコーラ」(沖縄県伊江島)、「甲賀コーラ」(滋賀県甲賀市)など定着したご当地コーラも複数あるほか、独自にブレンドしたコーラを提供する飲食店もある。柑橘類シラヌヒ(不知火)を使う「熊本クラフトコーラ」のように、こうした地域・店独自のコーラを「クラフトコーラ」と呼ぶこともある[3]クラフトコーラは香辛料やハーブ、各種柑橘類、ショウガなどを煮立ててそれぞれの味を出す。北海道では地元産のテンサイ糖で甘味をつけるなどして地域おこしとして商品開発に取り組む例が多い。家庭でつくる人もいる[4]。最近では甘酒をベースにしたUMAMI COLAなど、第3世代とも呼ばれる様々な切り口のクラフトコーラもでてきた。

2021年6月以降には、カルディコーヒーファームの「ドライクラフトコーラ」や、ポッカサッポロフード&ビバレッジの「THE CRAFT COLA」など、大手企業からもクラフトコーラが発売されるようになった[5]
東欧

ユーゴスラビア社会主義連邦共和国では1953年、コカ・コーラに似せて開発された炭酸飲料Cockta(コクタ、カクテルに由来)が発売された。スロベニアにあったワイン会社の幹部がコカ・コーラを持ち帰って類似商品の国産化を計画し、勤務していた食品科学者エメリク・ゼリンカがレシピを考案した。カフェインは含まず、10種類以上のハーブレモンオレンジでフレーバーをつける。ユーゴスラビア解体後の21世紀も、旧ユーゴの一国クロアチアのアトランティック・グループが生産を引き継いでいる[6]

ドイツ民主共和国(東ドイツ)でも、1958年にヴィタ・コーラ(ドイツ語版、英語版)(Vita-Cola)が開発され、ライセンス生産を含め100を超える国内企業で生産された。ドイツ再統一後にほとんどが製造中止となったが、1994年にテューリンゲン州の飲料メーカーによって大規模生産が再開された。他にも、東ドイツでは1967年にクルプ・コーラ(ドイツ語版、英語版)(Club-Cola)が開発され、ベルリンの国営飲料工場で生産された。ドイツ再統一後に製造中止となった後、1992年に同ブランドのコーラが復活したが、製法は別のものに変更された。
歴史コカ・コーラの広告 1890年代のアメリカ合衆国のもの。価格は5セントとある。ウィンコーラ
1952年発売当初の製品ミッションコーラ
日本国内製造品
左:1950年代の瓶
右:1960年代後半以降の瓶ペプシコーラ
1960年代初頭の日本国内製造品ローヤルクラウンコーラ
日本国内製造品
1964年頃の瓶ローカルコーラの一例
左:サロンコーラ(神奈川県
中左:クールコーラ(大阪府
中右:ミツバナコーラ(大阪府
右:デリッシュコーラ(大阪府)

年月出来事
1886年5月アメリカ合衆国にてコカ・コーラ発明。
1888年-ザ コカ・コーラ カンパニー創業。
1898年-アメリカ合衆国にてペプシコーラ開発。
1902年-ペプシ・コーラ カンパニー創業。
1905年-アメリカ合衆国にてシェロ・コーラ開発。
1912年12月高村光太郎の「狂者の詩」に「コカコオラもう一杯」と登場[7][1]
1919年-明治屋によってコカ・コーラが初めて輸入販売、明治屋の広告雑誌『嗜好』にコカ・コーラの広告掲載。
1929年-アメリカ合衆国でミッション・コーラ発売。
1934年-ローヤルクラウンカンパニーよりRCコーラ発売。
1945年10月GHQの指示でザ コカ・コーラ エクスポート コーポレーションが日本6箇所にコカ・コーラ充填工場を設立(?1952年)。
1952年-日米通商公社よりウィン・コーラ発売。
日本ミッションジュースよりミッション・コーラ発売。
1953年-ミッション・コーラの日本国内での生産開始。
1955年-コカ・コーラ社より缶入りコカ・コーラ発売開始。
1956年11月コーラ飲料の原液輸入を認可。
1957年-東京飲料がコカ・コーラの一般向け販売を開始。
ペプシコーラ発売。
1958年3月日本コカ・コーラ設立。
-6月明治屋よりMYコーラ発売。
-12月日本で農林省が駐留軍以外へのコカ・コーラの外国人向け販売を許可。
1960年8月壽屋とローヤルクラウンカンパニーの販売契約締結。
1961年-グリコよりグリコ・コーラ発売。
コクカよりニッポン・コーラ発売。
札幌麦酒よりサッポロ・コーラ発売。
福水社よりグット・コーラ発売。
日本麦酒よりリボン・コーラ発売。
壽屋よりRCコーラ発売。
清水食品よりSSKソフト・コーラ発売。
-10月日本でコーラ飲料の輸入全面自由化[1]


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