伝播ルートはエチオピア→イエメン→メッカ(アラビアコーヒー)→オスマントルコ帝国(トルココーヒー)→ヨーロッパ→世界中に広まったと推定されるがはっきりはしていない。各間の伝播には「直接伝わった」のか「記録が無いだけで、その間に何か中継があったのか」もはっきりしていない。アラビアコーヒーで最古記録はイエメンの修道院で15世紀半ばである[21]。だが、記録が残っていないだけでアラビアコーヒーの歴史はそれよりずっと古いと推測されている[21]。メッカからレバント地方およびアラビア全域に広まった。また、オスマン帝国には同帝国イエメン総督だったオズデミール・パシャ(en:Ozdemir Pasha)とも伝わったとの説もあるが、パシャ提督経由なのか、メッカ経由なのか、レバント経由かもはっきりしない。
オスマン帝国からはバルカン諸国[22]、ヨーロッパには16世紀に存在が知られるようになり[23]、17世紀中にヨーロッパ全土に伝播した[24]。北米には1668年、ヨーロッパからの移民によって伝わった[25]。
日本へは18世紀末にオランダ人が長崎の出島へ持ち込んで伝わった[16]。最初の記録は、1804年の大田南畝による随筆『瓊浦又綴』(けいほゆうてつ)[26][注 1]。 コーヒー文化が広まるにつれ、抽出法が工夫され始めた。挽いたコーヒー豆を煮出して上澄みを飲むトルココーヒー式の淹れ方からフランスで、まず1711年に布で濾す方法が開発され、ネルドリップの原型となった[27]。これに湯を注ぐ器具として、1800年頃にドゥ・ベロワのポットが考案され、現在のドリップポットに至る[28]。この他にも、フランスでパーコレータ[29]、ドイツでコーヒーサイフォン[30]やペーパードリップ[31]、エスプレッソ発祥のイタリアでエスプレッソマシン イギリスでは1650年にオックスフォードに最初のコーヒーハウスが開業した後、17世紀にはロンドンを中心にコーヒーハウスが社交や議論、情報交換の場として隆盛を極めた[33]。ロイズの前身もコーヒーハウスである[34]。しかし、18世紀半ばにイギリスのコーヒーハウスの隆盛は紅茶の普及により廃れた[35]。 フランスでは1669年には駐トルコ大使がルイ14世に献上したことがきっかけになって上流社会で流行し、さらに一般にも広まって多くのカフェが作られた。1867年ごろには、朝食時にミルクと砂糖を入れたコーヒーを飲む習慣があった[36]。 ウィーンでは、1683年、オスマン帝国による第二次ウィーン包囲が失敗した際に、オスマン軍が塹壕に残していったコーヒー豆をゲオルク・フランツ・コルシツキー イスラム世界では、長らくイスラム教の戒律との関わりから一般民衆の飲用を認めない主張が続いた[38]。1454年にファトワが出された後も、反対意見は根強かった[39]。そのため、1511年、厳格なイスラム戒律主義者だったメッカ総督がコーヒーを「大衆を堕落させる毒」として飲用を禁じ、焼き捨てを命じたメッカ事件が起きている[40]。 メッカからコーヒーが伝わったオスマン帝国では、17世紀初頭に世界初の近代的なコーヒー・ハウスが首都コンスタンティノープルで開業した[41]。コーヒーハウスは中上流階級の社交場となり、コーヒーが伝わった先のヴェネツィアでも同様なコーヒーハウスが開業して[42]、ヨーロッパ中に広まった[43]。
コーヒー文化の広まりと形成
ヨーロッパ
中近東