イギリスでは1650年にオックスフォードに最初のコーヒーハウスが開業した後、17世紀にはロンドンを中心にコーヒーハウスが社交や議論、情報交換の場として隆盛を極めた[33]。ロイズの前身もコーヒーハウスである[34]。しかし、18世紀半ばにイギリスのコーヒーハウスの隆盛は紅茶の普及により廃れた[35]。
フランスでは1669年には駐トルコ大使がルイ14世に献上したことがきっかけになって上流社会で流行し、さらに一般にも広まって多くのカフェが作られた。1867年ごろには、朝食時にミルクと砂糖を入れたコーヒーを飲む習慣があった[36]。
ウィーンでは、1683年、オスマン帝国による第二次ウィーン包囲が失敗した際に、オスマン軍が塹壕に残していったコーヒー豆をゲオルク・フランツ・コルシツキー
(英語版)が戦利品として拝領し、ウィーン初のコーヒーハウスを開業したのが始まりといわれている[37]。イスラム世界では、長らくイスラム教の戒律との関わりから一般民衆の飲用を認めない主張が続いた[38]。1454年にファトワが出された後も、反対意見は根強かった[39]。そのため、1511年、厳格なイスラム戒律主義者だったメッカ総督がコーヒーを「大衆を堕落させる毒」として飲用を禁じ、焼き捨てを命じたメッカ事件が起きている[40]。
メッカからコーヒーが伝わったオスマン帝国では、17世紀初頭に世界初の近代的なコーヒー・ハウスが首都コンスタンティノープルで開業した[41]。コーヒーハウスは中上流階級の社交場となり、コーヒーが伝わった先のヴェネツィアでも同様なコーヒーハウスが開業して[42]、ヨーロッパ中に広まった[43]。 日本では江戸時代から長崎を通して貿易品として輸入されていたが、ビタミンの効用を求めて薬としての効果を期待されたもので、水腫に効果があるとされていた[44]。1807年の樺太出兵では野菜が摂取できないことによる兵の水腫病が問題になり、幕府から貴重なコーヒー豆が支給されたという[44]。1867年、万国博覧会に出席する徳川昭武の随員としてパリを訪れた渋沢栄一は「食後カッフへエーという豆を煎じたる湯を出す砂糖牛乳を和して之を飲む頗る胸中を爽やかにす」と『航西日記』に記しており、これが嗜好品として飲まれたコーヒーの最も古い記述とされる[36]。また昭武が記した『徳川昭武幕末滞欧日記』には複数のコーヒーを飲んだ記述や、紅海を移動中に見たモカの街について「優れたコーヒーの産地である」と書いた箇所がある[36]。1888年4月13日、東京下谷に最初の喫茶店「可否茶館」が開店した[45]。 中国では西洋より比較的コーヒー文化が広まるのが遅かった。大衆がコーヒーを体系的に認識したのは1980年代以降であり、また急速に広まったのは2020年代である[46]。しかし、2021年の都市部で飲まれた1人当たりのコーヒーの杯数は年間約4杯に達している[47]。 1990年から2019年にかけて消費量も生産量も約500万トン増えている[12]。2017年における1人当たり年間消費量の上位国はアイスランド(9.26 kg)、ノルウェー(8.84 kg)、スイスとボスニア・ヘルツェゴヴィナ(ともに6.33 kg)、カナダ(6.29 kg)、ブラジル(6.26 kg)の順で、日本は3.64 kg(12位)である[48]。 2014年、国際コーヒー機関は2015年から10月1日を「国際コーヒーの日」とすることを決めた[49]。
アジア
20世紀以降