コンプトゥス
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ルドルフ星表

新しい計算手段の導入時期が地域によって異なるのは地理的要因のほかに、宗教的な理由がある。グレゴリオ暦はカトリック教会が作り出したものである。カトリックに追随するのを嫌ったプロテスタントは、独自の方法で復活祭の日付を割り出そうした。カトリック諸国よりずっと遅れてグレゴリオ暦を導入した後も、ヨハネス・ケプラーが作り出したルドルフ星表をもとにカトリックとは異なった手段で復活祭日の計算を行っていた。しかし、グレゴリオ暦が基本のためカトリックの計算内容と大した違いはなかった。

21世紀に入ってからも東方教会は条件こそ「3月21日以後の満月を過ぎた最初の日曜日」と西方教会と同じだが、ユリウス暦を用いている。ユリウス暦の3月21日であるためグレゴリオ暦の復活祭日と異なることが多く、一致するのは3年に1回程度である。例えば2006年の西方教会の復活祭は4月16日だが、東方教会は1週間おくれの23日に復活祭を祝う。2007年は両方とも4月8日に祝う。
理論新月(朔)から満月(望)を経て新月(朔)に戻る周期を1か月とする朔望月

太陽年[1]は太陽の動きを追った1年である。太陽が春分点から黄道上を移動して再び春分点に戻ってくるまでを1年とし、小さい剰余はあるが365日周期である。太陰年[2]は、月の満ち欠けで暦を数える。新月から満月を経て次の新月までの朔望周期を月(朔望月)と考え、その12か月分を1年とする。平均朔望月はこれも小さい余剰があるが29と半日なので、太陰年は354日になる。太陽年は太陰年より11日長いわけである。例えば1月1日が朔望月の始まりである新月ならば太陽年と太陰年は同時に始まるわけだが、太陽年が終わる時に太陰年はすでに次の年の11日目になっている。毎年太陰年が11日早く始まるのだから、2年経てばその差は22にまで累積する。このように太陰年が太陽年より進みすぎて過剰になった分をエパクトギリシア語でエパクタイ・ヘーメライ[3]余所から付け足された日々)という。太陰年における正確な日を知るには、太陽年の日付にエパクトの数値を加えなければならない。エパクトの数値が30を越えれば、太陰年にもう1か月(いわゆる閏月)を挿入してエパクト数から30を引く。

太陽年と太陰年が19年ごとに一致するというメトン周期は、太陽年19年分が朔望周期235回分に等しいと仮定している。19年経って太陽年の始まりと朔望月の開始が一致するなら、エパクトは単純に19年ごとに繰り返されるはずである。しかし一回のメトン周期で累積するエパクト総数は 11 × 19 = 209 {\displaystyle 11\times 19=209} (1年あたり11日のずれが19年分)。 209 mod 3 0 = 29 {\displaystyle 209{\bmod {3}}0=29} と、 30 {\displaystyle 30} では割り切れず 29 {\displaystyle 29} 余っている。そこで周期の終わりにエパクトに1を加算し、 ( 209 + 1 ) mod 3 0 = 0 {\displaystyle (209+1){\bmod {3}}0=0} の状態にしてから再び周期を始めなければならない。この周期最後にエパクトへ 1 {\displaystyle 1} を加算することをサルトゥス・ルーナエ[4]と呼ぶ。太陰年は11日短いために、太陽年との差は 19 {\displaystyle 19} 年間で 209 {\displaystyle 209} 日まで増えるわけだが、これを朔望月の閏月を 7 {\displaystyle 7} つ(30日/月×6ヶ月 + 29日/月×1ヶ月)作って解決している。太陽年19年と等しい朔望月が 235 {\displaystyle 235} ヶ月分というのは、太陰年19年分にこの閏月が加えられた数である(12ヶ月/年×19年+閏月7か月=235ヶ月)。

メトン周期の19年は1から19までの黄金数という通し番号がついており、以下の公式で求めることができる。

G N = Y mod 1 9 + 1 {\displaystyle GN=Y{\bmod {1}}9+1}
( G N {\displaystyle GN} : 黄金数、 Y {\displaystyle Y} : 西暦年)

つまり、西暦年を 19 {\displaystyle 19} で割ったときの余りに 1 {\displaystyle 1} を足したものが黄金数である。
表計算方式
グレゴリオ暦

1582年に発布されたグレゴリオ暦とともに新しいコンピュタスが導入された。まずその年のエパクトを表から調べる。エパクトの値は、30と0両方の数値を意味する「*」(30日目で再びスタート地点の0日目に戻った状態=新月)から29日までの範囲にある。朔望月の最初の日は新月であり、暦の上では14日目が満月とされている(実際の満月は14日目とは限らない)。

以下の表は過去の19年周期にも未来の19年周期にも用いることができるが、使える期間は1900年から2199年の間に限定されている。

メトン19年周期のエパクト一覧表 (1900年から2199年に有効)年2014201520162017201820192020202120222023202420252026202720282029203020312032
黄金数12345678910111213141516171819
エパクト2910212132451627819*112231425617
復活祭の満月14A3A23M11A31M18A8A28M16A5A25M13A2A22M10A30M17A7A27M

※満月の日付のMは3月、Aは4月。エパクトの*は30または0を示す。

次の表は、1年間の日付に大の月(1か月が30日)と小の月(1か月が29日)を交互にしてエパクトを記入したカレンダリウム(: calendarium、ラテン語で帳簿の意)の一部である。このエパクト表を使って新月がどの日になるか知ることができる。いわば「新月早見表」である。まず年間365日(閏日はのぞく)の日付を表に書く。次に、1月1日から順番に全部の日付けにエパクトを示すローマ数字を書いていく。*(30=0)からxxix、xxviii…と減数していきiになったら、また*(30=0)から始める。これを12月31日まで繰り返す。ただし、大の月と小の月 が交互に来るように、1巡目は普通に書き込み(30日分)二巡目はxxvとxxivの両方を同じ日に書き(29日分)、それを二月ごとに繰り返す。最後に残った12月末の11日も13巡目として同じように扱い12月26日、27日にそれぞれxxv、xxivと書き込む。できあがったら、大の月にはxxv(25)の所に「25」と書き、xxivとxxvが同じ日に書かれている小の月の方にはxxvi(26)の所に「25」を書く。このような月の長さでエパクトを区切れば、どの月も最初と最後の日のエパクト数値が一致するのである。ただし、2月のエパクト数値と、7,8月の「25」の部分は一致しない。例えば、その年のエパクト数値が27であるなら、カレンダリウムにxxviiと書かれた日はすべて、教会の計算上の新月(実際の観測とは異なる)であることがわかる。

次に、カレンダリウムの日付に1月1日から大晦日までAからGの記号をふりわける。これで「新月および曜日早見表」となる。例えばその年の最初の日曜が1月5日でEの記号がついているなら、その年はEの記号のつく日がすべて日曜日なのである。Eはその年の日曜記号(ドミニカル・レター、: dominical letter、ラテン語で主の曜日の記号の意)となる。日曜記号は毎年1つ繰り上がる。ただし、閏年では閏日以降の日曜記号は1つ繰り上がるため、閏年に限っては閏日の前と後の二つの日曜記号がある。

復活祭の日付を算出する際には、年間365日全部を書き出す必要はない。カレンダリウムを見れば、3月は1月と同じようにエパクトが巡っていることがわかる。1月か2月どちらかを書き出すだけでよい。また1、2月の日曜記号の計算を飛ばして、3月1日にDから書き込みを始めればよい。3月8日から4月5日の間のエパクトがわかりさえすれば計算ができるので、以下の表を使うと便利である。


カレンダリウム(3月、4月分)3月12345678910111213141516171819202122232425262728293031
エパクト値*xxixxxviiixxviixxvixxv
25xxivxxiiixxiixxixxxixxviiixviixvixvxivxiiixiixixixviiiviiviviviiiiii*
日曜記号DEFGABCDEFGABCDEFGABCDEFGABCDEF
4月123456789101112131415161718192021222324252627282930
エパクト値xxixxxviiixxviixxvi
25xxv
xxivxxiiixxiixxixxxixxviiixviixvixvxivxiiixiixixixviiiviiviviviiiiii*xxix
日曜記号GABCDEFGABCDEFGABCDEFGABCDEFGA

表の見方:エパクトが27(ローマ数字 xxvii)で日曜記号がEの年であったら、xxviiの日は教会の計算上の新月となり、その13日後に満月となる(暦の上であり、実際とは多少異なる)。つまり3月4日と4月3日が新月で、満月が3月17日と4月16日になる。復活祭の日曜日は、春分の(3月21日)以降の最初の満月を過ぎた最初の日曜日である。この例では、4月16日の方が復活祭の満月に相当し、Eのつく4月20日が復活祭を祝う日曜日ということになる。

この表の25という数字(xxvとは別)は、次のように用いる。メトン周期では、11年離れた2つの年を比べると、エパクトの差が1日ある。小の月はxxivとxxvが同じ日であるから、もし同一のメトン周期内でエパクト数値の24と25が両方が重なることがあれば、この2つの年は同じ日に新月(と満月)になるはずである。しかし、実際の月の満ち欠けではありえない。同じ日付を繰り返すのは、19年周期だからである。この問題を避けるため、11より大きい黄金数の年は、「xxv」でなく「25」と書かれた方の日を計算上の新月としている。(例 2011年の新月は4月5日ではなく4日になり、そのため満月は17日となる。)大の月ではxxvも25も同じことだが、小の月では「xxvi」と書かれた日になるのである。25とxxviの組み合わせで問題が起こることはない。なぜなら22年目に問題が起こるが、周期自体が19年で終わるからである。そして周期と周期の間にサルタス・ルナが算入され、新月は別の日に移るのである。

グレゴリオ暦では平均太陽年を365.2425日とした。(21世紀初頭の計算では、平均回帰年365.24219日、春分回帰年ならば365.2424日とリリウスの計算に非常に近い値が出ている。)設定した365.2425日の0.2425日という端数を解消するために、0.2425=97÷400、つまり97日の閏日を400年の間に導入することとなった。単純な4年ごとのルールでは閏年が400年間で100回挿入することになってしまうので、「西暦が4で割り切れるが、100で割り切れる年は閏年としない(例 1900年)。ただし、100と400両方で割り切れる年は閏年(例 2000年)とする」という規則にし、できるだけ太陽年に合わせている。97日の閏日は太陽年の長さに対する修正であり、メトン周期の年や朔望月には影響を及ぼさない。400年間で閏日の入らない3つの百の年には、エパクトも数値を1つ減らして調整する。これを太陽方程式[5]という。

一方、無調整のままのユリウス暦では、太陽年19年分は235朔望月よりも多少長くなってしまった。約310年につき1日の割合で差が出る。そのため、グレゴリオ暦は2500年周期で8回、エパクトの数値を1つ増やしている。これを太陰方程式[6]という。第一回は1800年に行われ、400年ごとに算入される予定である。ただし、3900年と新周期の始まりである4300年の間は400年の間隔をおくことになっている。その影響でグレゴリオ暦の太陰暦部分は100から300年周期のエパクト表を用いている。上記のエパクト表は1900年から2199年の間のみ有効である。
詳細

この計算方式にはいくつか微妙な点がある。

朔望月は大の月(30日)と小の月(29日)を繰り返す。そのため小の月は、30あるエパクトのうち2つが同じ日に配分される。黄金数が11以上になれば、エパクト25の年はxxvでなく「25」を基本にする。他の数値でなく、xxv/25を動かすのには理由がある。ディオニュシウス(彼のペトロニウスに宛てた手紙の説明)によれば、ニカイア会議ではエウセビオスの権威のもと次のように決定されたらしい。教会の計算における太陰年の第一月は過越月(Paschal month 春分と過越の祭がある月)であり、3月8日から4月5日の間に始まり(新月)、14日目(満月)が3月21日から4月18日の間に来なければならない。つまり新しい太陰年が始められる期間はわずか29日間である。

たとえば、エパクト数値26の年はxxivと記された3月7日が新月。


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