英語では、コンピュータの信号をビデオモニターに出力して表示していた時代が長かったことから、"video game"という語を用いるのが通例。英語と日本語の対応については、英語の"video game"と日本語の「コンピュータゲーム」の語義が近く、"computer game"や"PC game"に語義が近いのは「パソコンゲーム」や「PCゲーム」である。また英語の"electronic game
"は、日本語の、広義の「電子ゲーム」と同義である。史上初のコンピュータゲームとされるものは、1947年にコーネル大学卒業生のアメリカ人トーマス・T・ゴールドスミス(英語版)およびエストル・レイ・マン(Estle Ray Mann)によって開発された陰極線管娯楽装置(cathode ray tube amusement device)である[7]。次いで、1952年にEDSAC上でプログラムされた『OXO』が開発された[8]。1961年に開発された『スペースウォー!』はミニコンピュータで開発され遊ばれた、初の汎用コンピュータ用のゲームである[9]。ここまではコンピュータゲームは好事家による趣味の域を脱していなかったが、1971年にノーラン・ブッシュネルがスペースウォーを改良した『コンピュータースペース』を開発し、これが世界初のコンピュータ式アーケードゲームとなったことで、産業化が始まった[10]。翌1972年に最初に商業ゲームとして成功したのはアタリのアーケードゲームの『ポン』だった[11]。
同年にはラルフ・ベアによって世界初の家庭用ゲーム機である「オデッセイ」が開発された[12]。また1977年発売のAtari 2600ではカートリッジでプログラムを供給するカートリッジ交換式のシステムが採用され、このAtari 2600によってテレビゲームのイメージがほぼ確立されたが、1982年にいわゆるアタリショックが起きた[13]。
日本においては1970年代末より広まったアーケードゲームにおけるLSIゲーム(電子ゲーム)が、コンピュータゲームの産業化のはしりと言え[14]、1978年に『スペースインベーダー』が登場することで一大ブームを巻き起こした[15]。家庭用ゲーム機も1980年代に入るといくつか登場したが、なかでも1983年に発売されたファミリーコンピュータは社会現象となるほどの爆発的な売れ行きを記録し、ほかのハードを圧倒して家庭用ゲーム機の代名詞となった。その後もコンシューマーゲームの成長は続き、PlayStationやセガサターン、NINTENDO64といった新ハードの発売も進んで、1996年に日本国内の家庭用ゲーム市場規模は最大となった[16]。しかしその後は家庭用ゲーム販売は減少傾向となり、2006年には携帯用ゲームソフトの販売が据え置き用のそれを上回った[17]。しかしこのころにはすでにモバイルゲームの急速な躍進が始まっており、2009年から2011年にかけてはフィーチャーフォン向けのソーシャルゲームが急成長を遂げ[18]、その後2011年以降はスマートフォン向けのゲームに切り替わった[19]。
日本においては国立国会図書館法の一部を改正する法律が2000年10月1日に施行され、コンピュータゲームソフトを含むパッケージ系の電子出版物に納本義務が課せられた。日本標準産業分類においては、コンピュータゲームのソフトウェア産業は情報通信業に分類され、なかでも情報サービス業に区分される[20]。ゲーム産業は、テクノロジー/ビジネスモデル/コンテンツデザインによって「変質しながら成長していく巨大な森」といわれる[21]。
コンピュータゲームの市場は成立以降急速に拡大を続け、一大産業へと成長した。2018年のコンピュータゲームの総売上は13兆1774億円と推定されており[22]、そのうち90%以上がデジタル配信ゲームであり、パッケージゲームの売り上げは1割以下となっている。また、売り上げはアジア、北アメリカ、ヨーロッパの順に多く、この3地域の売り上げは95%近くにのぼる[23]。日本国内のコンピュータゲーム売上は2018年に1兆6704億円となっており、このうちスマホゲームが1兆1660億円、家庭用ゲームが4343億円を占めた[22]。ゲーム企業の売上は年ごとの変動が激しいが、2017年のゲーム事業売り上げデータでは、テンセント、ソニー、Apple、マイクロソフト、アクティビジョン・ブリザードの順となっていて、また、この年任天堂は9位、バンダイナムコは10位となっていた[24]。また、コンピュータゲームを「人対人」や「チーム対チーム」の競技として行い競技大会を開催するエレクトロニック・スポーツ(eスポーツ)も盛んとなってきている。
分類
ゲーム一般としての分類「ゲーム#ゲーム理論の援用」も参照