明治8年(1875年)、銀座で時計や測量器械を売っていた玉屋の下請けで時計鎖を作っていたかざり職人の沢田金太郎は、船来品を見本として仏式コンパスを独学で作り始めた。その後、横須賀海軍工所から転職して比例コンパスを専門に作り始めた斉藤三郎が一派を興し、医療器械職からスプリングコンパスの製造に転向した石井留吉が小石川砲兵所の職工から独立してコンパスを作り始めた。杉崎清三郎一派が一時隆盛を極めた。その後、ものさし製造家・藤山捨吉が製造器械を各派から集め、大量的に製図器械の製造を始めたが、工員の技術指導者は上記の流れを汲む人々であった。材料は打物であったが烏口とスプリングを除くその他の製図器械の材料は明治18年(1885年)頃、和田貞一郎の指導により川出竹松という鋳物師が鋳物を作り始めた。大正5年渡辺寛が、現在のD式という独逸のリヒテル型を国産化した時に、始めて洋白の板と棒を使い始めた。現在は仏式、英式、D式などはいずれも一部の製品を除いてほとんど鋳物である。 中心部から2本の足が伸びている形状から、足の長い人物(特に女性)を指す比喩表現として「コンパス(が長い)」といった用い方をすることがある。また、足の長さに由来する意味ではあるが「コンパスが違う」という慣用表現では歩幅を指す。
シンボルとして
ドイツ民主共和国の国章(麦の穂と槌とコンパス)
フリーメイソン(直角定規とコンパス)
比喩
脚注^ a b 第3章 各学年の内容
^ a b “ ⇒製図器単品・付属品”. STAEDTLER Japan. 2013年11月4日閲覧。[リンク切れ]
関連項目.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、コンパスに関連するメディアおよびカテゴリがあります。
定規とコンパスによる作図
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