コンテナ化
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複数回に及ぶ荷役と遅延は輸送コストや時間がかかるだけでなく信頼性も低くしていた[3]

コンテナリゼーションは18世紀後半のイギリスにおける初期の炭鉱地域が端緒となった。1766年、ジェームズ・ブランドリーは石炭をウォーズリーのデルフ採石場からマンチェスターまでブリッジウォーター運河で輸送するために、10個の木製コンテナを備えた箱舟「Starvationer」号を設計した。1795年、ベンジャミン・ウートラムがリトルイートン・ギャングウェイ[注釈 1]を開設すると、石炭はワゴンに積まれてそれで輸送された。このギャングウェイを行く馬引きのワゴンはコンテナの形をしており、石炭を積んではしけからダービー運河に積み替えることが可能だった[4]

1830年代までに、幾つかの大陸鉄道が他の輸送手段に移行可能なコンテナを輸送していた。英国のリバプール・アンド・マンチェスター鉄道もその1つで、「シンプルな長方形の木箱(ワゴンに4つある)が、石炭をランカシャーの炭鉱からリバプールまで運ぶのに使用され、クレーンで馬車に移された」との記述がある[5]。元々は石炭をはしけに積み下ろしするのに使われていた「ルーズ・ボックス」[注釈 2]が、1780年代後半からはブリッジウォーター運河のような場所で石炭をコンテナ輸送するのに使われた。1840年代までに、木製の箱だけでなく鉄製の箱も使用されるようになった。1900年代初頭には、道路と鉄道間の移動用に設計された密閉コンテナボックスの採用が確認されている。
20世紀

1917年5月17日、米国のシンシナティ (オハイオ州)でベンジャミン・フランクリン・フィッチは自身の設計に基づき、着脱できる筐体(demountable bodies)と呼ばれるコンテナ輸送用の実験設備の開発に着手した。1919年後半、彼のシステムは14台の貨物トラックで21の鉄道駅にサービスを提供する200個以上のコンテナへと拡張された[6]

第二次世界大戦前に、多くのヨーロッパ諸国が独自にコンテナシステムを開発した。

1919年、エンジニアのStanis?aw Rodowiczがポーランドでコンテナシステム最初の草案を策定した。1920年には二軸ワゴンの試作品も製作されたが、ポーランド・ソビエト戦争のためポーランドでは開発が中断してしまった[7]

1921年5月、アメリカ合衆国郵便公社は郵便物をコンテナ経由で輸送するためにニューヨーク・セントラル鉄道と契約した。1930年、シカゴ&ノースウェスタン鉄道はシカゴとミルウォーキー間でコンテナの輸送を開始した。しかし、州際通商委員会がコンテナでの定額料金使用を許可しなかったことで、1931年春に彼らの事業は終了した[8]

1926年、サザン鉄道北部鉄道によるロンドンからパリまでの豪華客車ゴールデン・アローの定期的な接続運行が始まった。この乗客の手荷物の輸送に4つのコンテナが使用された。これらのコンテナはロンドンまたはパリで積み込まれ、イギリスでは長物車そしてフランスでは専用列車(CIWL Pullman Golden Arrow Fourgon of CIWL)でドーバー (イギリス)またはカレー (フランス)の港に運ばれた。

1928年9月、ローマで開催された第2回世界自動車輸送会議で、イタリアの上院議員シルヴィオ・クレスピが、競争よりも協調体制を採って道路と鉄道の輸送システムにコンテナを使用することを提案した。これは、寝台車で乗客を国際間輸送するSleeping Car Companyと同様に国際機関の支援の下で行われることとされた。1928年にペンシルバニア鉄道がアメリカ合衆国北東部で定期的なコンテナサービスを開始した。

ニューヨークでのウォール街大暴落 (1929年)とその後の世界恐慌を経て、多くの国が貨物の輸送手段を失っていた。貨物輸送の可能性として鉄道が求められ、コンテナをより広い用途で輸送するきっかけとなった。1931年9月30日、国際商工会議所の後援を受けて、ある海事貨物駅のプラットフォームではヨーロッパ製コンテナの最も良い構造を評価する実用試験が、国際競争の一環として実施された[9]

同じく1931年、米国ではベンジャミン・フランクリン・フィッチがその当時どこにでも存在する2つの最大かつ重いコンテナを設計した。1つは17.6×8.0×8.0インチで容量890立方フィートの30,000ポンド。もう1つが20.0×8.0×8.0インチで容量1000立方フィートの50,000ポンドである[6]。1932年11月、エノラではペンシルバニア鉄道が世界で最初のコンテナターミナルを開設した[9]。フィッチの開発したフック留めシステムが、コンテナの再積み込みに使用された[6]

コンテナリゼーションの発達は、経済崩壊と全交通手段の使用減少をもたらすこととなった1929年のウォール街大暴落を経て、鉄道会社を活性化する方法としてヨーロッパとアメリカで興ったのである[9]

1933年のヨーロッパでは、国際商工会議所の後援を受けて国際コンテナ事務局(B.I.C)が設立された。1933年6月、B.I.Cは国際間交通で使用されるコンテナに必須となる規定条件を決定した。 コンテナは、移動式エレベーター(グループ1コンテナ)用のクレーンやオーバーヘッドコンベヤー等のつり上げ装置によって取り扱われるとして、1933年7月1日以降に構築されたものとされた。義務的な規制は次のとおり。

条項1-コンテナは、形状に関しては閉鎖タイプまたは開放タイプのいずれかで、容量に関しては重量タイプまたは軽量タイプのいずれかであること。

条項2-コンテナの積載量は、コンテナの総重量(荷物+空荷時)が以下のようでなければならない。重量タイプのコンテナの場合は5メートルトン。 軽量タイプのコンテナの場合は2.5メートルトン。ワゴン荷重と同じ条件下では、総重量の5%超過までの許容範囲を認める[9]

1926年から1947年の米国では、シカゴ・ノースショアー・アンド・ミルウォーキー鉄道がミルウォーキー (ウィスコンシン州)とシカゴ (イリノイ州)の間で長物車に積荷された自動車運搬車および荷主の車両を輸送していた。


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