コンテナ化
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アメリカのトラック輸送の起業家マルコム・マクリーンは、後にコンテナと呼ばれる58台の「トレーラー・バン」を入れて[34]、改造されたタンカー船アイデアル・X号に乗せ、ニューアーク (ニュージャージー州)からヒューストン (テキサス州)まで航海した[28]:1。カナダでの出来事とはまた別に、マクリーンは輸送中に決して開けることなしに、トラック、船舶、鉄道車両間のインターモーダルを基本とする受け渡し可能な大型コンテナを使用する考えを抱いていた。マクリーンは当初、大型トラックからトレーラーを取り出して船の貨物倉にそれを格納する「トレーラーシップ」の建設を支持していた。

ロールオン-ロールオフ方式と呼ばれるこの積み込み方法は、潰れた物置きとしても知られ、船内の潜在的な貨物スペースの大きな無駄遣いになるため採用されなかった。代わりにマクリーンは、車台ではなくコンテナのみを船に積むものへと当初の概念を修正した。そのため「コンテナ船」や「ボックス」船との名称になっている[35][36]
規格化マースク社のコンテナ。1975年ケッペル港のコンテナ・ターミナル。シンガポール

コンテナリゼーション初頭の20年間に、様々な大きさのコンテナと隅金具が使用された。米国だけでも互換性のないコンテナシステムが数十個あった。最大運用のコンテナでも、マトソン航行会社には24フィート(7.32m)のコンテナがあり、シーランド・サービス社は35フィート(10.67m)のコンテナを使用していた。現存する規格サイズや金具および補強基準は、国際海運会社、ヨーロッパの鉄道会社、米国の鉄道会社、および米国の運送会社間における一連の妥協から発展した。4つの重要なISO(国際標準化機構)勧告によって、世界規模でコンテナリゼーションが規格化された[37]。詳細は「海上コンテナ#規格化の歴史」を参照

1968年1月:ISO 668は用語、寸法、定格を定義。

1968年7月:R-790は識別マークを定義。

1970年1月:R-116は隅金具に関する勧告を行う。

1970年10月:R-1897は汎用貨物コンテナの最小内部寸法を設定。

これらの規格に基づいた最初のTEUコンテナ船が日本郵船を船主とする箱根丸 (コンテナ船)であり、1968年に初就航して、752TEUのコンテナを運ぶことが可能だった。

米国では、コンテナリゼーションやその他の輸送の進歩が州際通商委員会(ICC)によって妨げられた。同委員会は、鉄道が独占的な価格設定および料金差別[注釈 7]を使用しないようにする目的で1887年に創設されたが、規制の虜の犠牲となった。1960年代まで、荷主が同じ車両で異なる品目を運んだり料金を変更する前には、ICCの承認が必要だった。現在の米国における全統合化システムは、ICCの規制に基づく監視が縮小(そして1995年に廃止)された後にのみ可能となったもので、トラック輸送および鉄道は1970年代に規制緩和され、海運料金は1984年に規制緩和された[38]

コンテナが鉄道車両上に2段積み上げられる複層貨物鉄道輸送が、米国で導入された。この概念はシーランド社とサザン・パシフィック鉄道によって開発された。最初の独立式複層コンテナ車は1977年7月に納入された。業界標準となる5ユニットのウェルカーは1981年に初めて登場した。当初、これらの複層貨物鉄道車両は普通列車の運行で展開されていた。 1984年にアメリカンプレジデントラインズ社がロサンゼルス-シカゴ間で複層貨物コンテナに特化した列車事業を開始して以降、その輸送量は急速に増加した[要出典]。
効果タンカーに荷積みされたコンテナ。ロッテルダム港にて

コンテナリゼーションは、特に消費財やコモディティ物品の国際貿易の費用を大幅に削減し、スピードを大きく向上させた。また、世界中の港湾都市の性格も劇的に変貌させた。高度に機械化されたコンテナ積み替え以前は、20-22人の港湾労働者(沖仲仕)が個々の貨物を船倉に詰め込んでいた。コンテナリゼーション後、港湾施設では大所帯の港湾労働者が不要になり、職業が大幅に変わった。

一方、コンテナリゼーションの支援に必要な港湾施設も変貌を遂げた。 影響の1つが港の若干の減少と他の増加だった。 サンフランシスコ港では、荷役に使用されていた以前の桟橋はもはや必要なくなり、しかしコンテナ積み替えに必要とされる広大な保管区画を建設する余地が殆どなかった。その結果、サンフランシスコ港は実質的に主要な商業港として機能しなくなったが、隣接するオークランド港が米国西海岸で2番目に大きい港として浮上した。同様の運命がマンハッタンニュージャージーの港の間でも起こった。英国では、ロンドン港とリバプール港の重要性が低下した。一方、英国のフェリクストウ港とオランダのロッテルダム港が主要港として登場した。一般的には、深喫水船の通行ができない水路の内陸港はコンテナリゼーションから撤退し、海港が有利となった。インターモーダル用コンテナを使うことで、コンテナの仕分けおよび梱包作業を乗船地点から遠く離れた内陸部の施設で実行することが可能となった。

コンテナリゼーションの影響は、海運業界を超えて急速に広がった。コンテナは、海上輸送を伴わない貨物輸送向けのトラック輸送および鉄道輸送産業で急速に採用された。製造業もまたコンテナの利点を活用するべく進化した。かつて小さな委託貨物を配送していた会社は、それらをコンテナにグループ化するようになった。現在、貨物の多くはコンテナに正確に収まるよう設計されている。コンテナの信頼性は、部品供給業者が定期的な固定スケジュールで特定の部材を提供できるため、ジャストインタイム生産システムも可能にした。原料生産地から部品工場まで、部品工場から組立工場まで、組立工場から最終消費地の物流センターまでの間が定時性の高く輸送費の安い海上コンテナで結ばれるため、多数の国にまたがる複数の企業間の生産時期を調整して、短い納期と少ない在庫を達成するサプライチェーン・マネジメント構築も可能になった。


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