コンスタンティン・スタニスラフスキー
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注釈^ 自分と他人の演技感情の矛盾や解決法から逃げず、ノートを取り続けた。また帝室小劇場(マールイ劇場)など劇場に良く通った。
^ 活人画『四季』の中の「冬」を演じた。『スタニスラーフスキイ自伝』上巻 島田謹二訳、岩波文庫、1942年 p.38
^ サッバ・チモフェーエヴィチ・モロゾフ。文学や演劇の愛好家。芸術座支援のため、劇場を建設、さらに創設基金1万ルーブリを出資。芸術座は、これをもとに幾人かの株主を得て、2万8千ルーブリを確保した。モスクワ屈指の製造業者すなわち資本家であって劇場の赤字をすべて払うなどした。また、化学者でありロシア革命運動に共感する。照明操作監督を引き受けるなど演劇にも積極的であった。革命運動にも相当の資金を提供したが、1905年、第一革命が起り、続いて反動が襲った時期に、ニースで自殺した。山田肇著『スタニスラフスキイ』弘文堂〈アテネ文庫174〉、1951年 p.25
^ スタニスラフスキーの父も家庭教師も参加した。『スタニスラーフスキイ自伝』上巻 島田謹二訳、岩波文庫、1942年 p.95
^ ヴォードヴィルやオペレッタからドラマ、オペラまで上演した。山田肇著『スタニスラフスキイ』弘文堂〈アテネ文庫174〉、1951年 p.4
^ ギムナジヤはロシアの中学校。該当の教師は、スイス生まれのスポーツマンであるヴァンサン。体操家で、撃剣家で、馬術家。ギムナジヤ入学が、徴兵免除と相応の学問上の資格を得る必要を伴っていたことが、ついにスタニスラフスキーの母の反対を覆した。スタニスラフスキー著『芸術におけるわが生涯』上巻、蔵原惟人、江川卓共訳、岩波文庫、2008年 pp.76-77
^ 芸術座創立後も1917年の十月革命の前後まで家業に従った。山田肇著『スタニスラフスキイ』弘文堂〈アテネ文庫174〉、1951年 p.3
^ 帝室小劇場「シェープキンの家」によって創立された学校。シェープキンの女弟子で、以前の帝室劇場演劇学校を出た有能な女優の指導下に設けられた。『スタニスラーフスキイ自伝』上巻 島田謹二訳、岩波文庫、1942年 pp.132-135、スタニスラフスキー著『芸術におけるわが生涯』上巻、蔵原惟人、江川卓共訳、岩波文庫、2008年 p.155
^ 女優の息子とスタニスラフスキーは友達であった。『スタニスラーフスキイ自伝』上巻 島田謹二訳、岩波文庫、1942年 p.133
^ 芸術と文学の会。フェドートフ、テノール歌手フョードル・コミサルジェフスキーとともにアマチュア俳優が集結した劇団を作り、賭博禁制のクラブを設け、モスクワ中の芸術家が所属する団体を発会した。山田肇著『スタニスラフスキイ』弘文堂〈アテネ文庫174〉、1951年 pp.4-14
^ アレクセーイェフ一座で活躍した頃、スタニスラフスキーはコミサルジェフスキーから声楽の稽古を付けてもらい、稽古のあとには雑談する仲となっていた。『スタニスラーフスキイ自伝』上巻 島田謹二訳、岩波文庫、1942年 pp.194-195
^ 芸術文学協会の劇場は、『ジョルジュ・ダンダン』とプーシキン作『けちな騎士』の上演から開始された。いずれもフェドートフによる演出。スタニスラフスキーは前者のソタンヴィル及び後者の騎士を演じた。『スタニスラーフスキイ自伝』上巻 島田謹二訳、岩波文庫、1942年 pp.220-221、山田肇著『スタニスラフスキイ』弘文堂〈アテネ文庫174〉、1951年 p.6
^ ザクセン・マイニンゲン一座。1860年代の終わりにザクセン・マイニンゲン公ゲオルグにより作られた劇団。演出家クロネックが長。1885年に訪露した。スタニスラフスキー著『芸術におけるわが生涯』上巻、蔵原惟人、江川卓共訳、岩波文庫、2008年 p.304、p.359
^ 1897年初夏、ダンチェンコはスタニスラフスキーあて「あなたの興味を惹くかも知れない問題について話がしたい」という趣旨の手紙を送り、スタニスラフスキーは早速、日時と場所を指定する電報を返した。該当の「問題」とは、二人が協力し、芸術文学協会の俊秀とダンチェンコ門下の高足とを結束し、これを中心として、それにモスクワ、ペテルブルクその他の職業俳優中、選ばれた者を加えて、新しい劇団を結成するという提案であった。山田肇著『スタニスラフスキイ』弘文堂〈アテネ文庫174〉、1951年 p.14、pp.20-21
^ 話し合いの内容を覚書にまとめ、両者が署名した。「小さな役というものはない、あるのはただ小さな俳優のみだ。」「おのれにおける芸術を愛せよ、芸術におけるおのれではならぬ。」「きょうはハムレット、あすは仕出し、だが仕出しとしても、芸術家たれ。」「詩人、俳優、美術家、衣装屋、道具方はすべて一つの目的に奉仕するものだ、目的は詩人によって彼の作品の根底に据えられている。
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