コンサーティーナ
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注釈^ 2015年現在、日本語や中国語のサイトでは「双面手風琴」「六角手風琴」「八角手風琴」など未統一の漢字訳も散見されるが、いずれも未定訳である。コンサーティーナの形は四角形、六角形、八角形、十二角形などいろいろなので、「N角形?」と形を限定する呼称を入れてしまうと、コンサーティーナ全般を指す汎称(はんしょう)としては不適切になる。
^ 昭和の日本では、欧米の各国語におけるconcertinaの発音が微妙に異なることも一因となり、「コンセルチーナ」「コンサーチナ」などの呼称が乱立していた。例えば、谷口楽器が発行していた月刊『アコーディオン・ジャーナル』1973年2月号の記事のタイトルは「コンサーチナ <六角型手風琴> その種類と音の配列」だが、同じ雑誌の1973年6月号の記事のタイトルは「コンセルチーナ(ドイツ製)が近く入荷!」で、同一の雑誌でさえ呼称は統一されていなかった。平成に入ると、アイルランドの伝統音楽の愛好者が日本国内でも増えてきた影響もあり、英語系の発音に近い「コンサーティーナ」という呼称が普及した。例えば、渡辺芳也『アコーディオンの本』(春秋社、1993)では「コンサーティーナ」であり、キアラン・カーソン著、守安功訳『アイルランド音楽への招待』(音楽之友社、1998)では「さて、この楽器、日本ではどういうわけかコンセルティーナと表記されているが、正しくは「コンサーティーナ」である」(p.179)とあり、三浦みゆき著『イングリッシュコンサーティーナ教本』(サーベル社、2010)も「コンサーティーナ」である。しかし、依然として「コンサーティナ」その他の表記も見受けられ、統一されていない。
実際、各言語による発音を聞き分けて可能な限りカタカナ表記すると、コンサティーナ(英国英語)、カンサァティナ(米国英語)、コンチェルティーナ(イタリア語)、コンセフティーナ(フランス語)、コンツェウティーナ(ドイツ語)、コンセルティナ(スペイン語)、コンセルチーナ(ポルトガル語)となる。
^ 英国での特許認定は1829年12月19日、No 5803。申請書の日付は半年前の6月19日。ただし厳密に言うと、ホイートストンが1829年にロンドンで取得した特許のタイトルは「Improvements in the Construction of Wind Musical Instruments」(吹奏楽器の構造の改良)であり、記述のメインは「シンフォニウム」(symphonium) という別の楽器である(蛇腹はなく、口をあてて息を吹き込んで鳴らす小型のボタン式鍵盤楽器)。彼が「コンサーティーナ」という名前を初めて使って特許を取得したのは15年後の1844年である。とはいえ、1829年の特許申請書の中にすでに蛇腹を使ったコンサーティーナの原型のアイディアが図示されていること、シンフォニウムのボタン鍵盤の配列法が後のイングリッシュ・コンサーティーナと同様であることから、ホイートストンをコンサーティーナの発明者とするのが定説となっている。
^ ラテン語では「-inus(男性形)、-ina(女性形)」。イタリア語・スペイン語では「-ino(男性形)、-ina(女性形)」。
^ 一例をあげると、TVアニメ「おジャ魔女どれみドッカ?ン!」第27話(2002.08.04放送)「白いゾウさん、はじめまして!」の中で白いゾウが首にかけている楽器はアングロ・コンサーティーナだが、劇中のセリフでは一貫して「アコーディオン」と呼ばれ、バンダイから発売された関連玩具の商品名も「おジャ魔女どれみドッカ?ン! たのしいアコーディオン」になっている。
^ 同じ「コンサーティーナ」という名称でも、時代や国の違いにより、別の楽器を指す場合すらあるので要注意である。例えばポルトガル語で単にconcertinaと言えば、ダイアトニック・アコーディオンダイアトニック式のボタン・アコーディオン)を指すことも多い。
^ 英国人チャールズ・ホイートストンが発明した最初のコンサーティーナと同様のタイプの楽器であるため、「イングリッシュ」と呼ばれる。
^ 親指や小指に消極的である理由は、他の3本の指と長さが違うためである。オルガンなどの手鍵盤の運指でも、16世紀ごろまでは親指と小指は使わず、18世紀になってさえ親指の使用にはまだ消極的だった。
^ 英語圏では、第一次世界大戦勃発後、敵国名である「ジャーマン(ドイツ)」を避けて単にアングロ・コンサーティーナと呼称することが増えた。
^ よく「C/G調のコンサーティーナではCメジャーとGメジャーの調の曲しか弾けない」と誤解する人が多いが、アクシデンタル・ボタンのあるC/G調の機種なら、C/Gの近親調であるAマイナー、Dメジャー、Dマイナー、Eマイナー、Fメジャー等の曲も容易に弾ける。外部リンクの、アングロ・コンサーティーナの演奏動画なども参照のこと。
^ あくまでも理論上、最大で同時に8本の指でボタン鍵盤を鳴らせる、という意味である。アイルランドの伝統音楽などを演奏する場合には、それほど多くの指は使わない。
^ アイルランドの伝統音楽でアングロ・コンサーティーナを弾く場合は、和音を弾かず、フィドルのような単旋律をなるべく少ない数の指で(そのほうが速く弾けるため)弾くことが多い。
^ ツィンマーマンは移住先の米国でも、新しい楽器の開発や製造にかかわった。オートハープの項を参照。

出典[脚注の使い方]^ a bコンサーティーナ入門
^ Robert Gaskins. “ ⇒A Portfolio of Historic Concertina Patents”. 2020年8月27日閲覧。
^ メリアム=ウェブスターのオンライン辞書は1834年説を採り“First Known Use of concertina / 1834, in the meaning defined at sense 1”(“ sense 1”=意味1とは“1: a musical instrument of the accordion family”=アコーディオン族の楽器)と述べる( 出典 https://www.merriam-webster.com/dictionary/concertina 2020年9月25日閲覧)。ただし渡辺芳也は1833年説を採り、その著『アコーディオンの本』(春秋社、1993年)p.81-p.82で「のちの一八三三年には、六角形の蛇腹つきシンフォニウムが『コンサーティーナ』と命名され(以下略)」云々と述べる。
^ コンサーティーナの開発者自身は当初、自分の作った楽器を「コンサーティーナ」と呼ばなかった。イングリッシュ・コンサーティーナの開発者であるホイートストンは1829年の特許の中で「シンフォニウム」(の蛇腹付き派生型)と記した。ジャーマン・コンサーティーナの開発者であるカール・フリードリヒ・ウーリヒは、1834年の広告の中で「新しいタイプのアコーディオン」と呼んだ。ウーリヒの楽器を輸入したイギリスの商人が、商品を差別化するため「ジャーマン・コンサーティーナ」と呼んだのが、「コンサーティーナ」という名称の始まりとも言われる(Dan M Worrall(2009) The Anglo-German Concertina: A Social History (Volume 1) p.6 ISBN 978-0-9825996-0-0)
^ 物理学者ホイートストンが発明したコンサーティーナに、裕福な家庭の人々、音楽家、そしてキャンタベリー主教までが夢中になったという。ホイートストンの親友でクラシック・ギター音楽家のジュリオ・レゴンディ(英語版 Giulio Regondi)は、この新しい楽器でクラシック音楽や自作曲を驚異的に弾きこなし、ヨーロッパ各地で演奏旅行を行い、大反響を巻き起こした。渡辺芳也『アコーディオンの本』(春秋社、1993)p.82
^救世軍のコンサーティーナバンド
^ 例えば、1850年にウィーンで開かれた工業博覧会ではホイートストンのコンサーティーナが大々的に展示され、1854年にミュンヘンで開かれた工業博覧会ではウーリッヒのジャーマン・コンサーティーナがホイートストンのイングリッシュ・コンサーティーナと競って展示されるなど、コンサーティーナは電話やタイプライターのような文明の利器と同様のルートでも広まった(渡辺芳也『アコーディオンの本』(春秋社、1993)p.84)。
^ メトロポリタン美術館のこの絵の解説では“「生寫異國人物」American Woman Playing a Concertina, from the series Life Drawings of People from Foreign Nations”と、この楽器をコンサーティーナと見なす。https://www.metmuseum.org/art/collection/search/73403 (2018/9/17閲覧)。これに対して神奈川県立歴史博物館のこの絵の解説では「セイシャイコクジンブツ アメリカニョカンアコーデオンヲヒクノズ」とする。  ⇒http://ch.kanagawa-museum.jp/dm/ukiyoe/yokohama/fuzoku/d_fuzoku03.html (2018/9/17閲覧)
^ 「一八九五(明治28)年九月二十二日、東京の基督教青年会館で、救世軍の開戦を告げる集会が開かれました。(中略)その集会の様子は、「……用いた楽器は、バイオリン、コルネットというラッパ及び手風琴(コンサチーナ)で、メロディーはすべて快活、勇壮で楽しいもの……」と伝えられています。」以上、救世軍の「ときのこえ」2015年9月号の記事「JOY! 喜び満ちあふれる救世軍 勝地 次郎」より引用。
^ 宣教師から日本人がコンサーティーナを習った一例として、坂田古典音楽研究所の坂田進一氏は、十代後半の頃、明治年間にイギリスに留学した植村益蔵・救世軍中将から「救世軍コンサーティーナ」と救世軍編の教則本『Concertina Tutor』をもらって練習したがすぐに行きづまり、イングリッシュ・コンサーティーナとクレーン式のデュエット・コンサーティーナをそれぞれ別の宣教師から習ったという。出典: ⇒坂田古典音楽研究所主催『第1回コンサティーナの集い』 2000年7月19日 2016-4-21閲覧
^ 「オイチニの薬売り」の楽器と歌詞と楽譜
^ 伊東潤『武士の碑』 ISBN 978-4569824444
^ a b togetter 「西郷どん」村田新八の楽器は「アコーディオン」ではなく「コンサーティーナ」です
^ a b c 三浦みゆき著『イングリッシュコンサーティーナ教本』(サーベル社、2010)ISBNコード:9784883715633

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