コロンビア
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人口密度45.9[2]人/km2

GDP(自国通貨表示)
合計(2020年)1002兆9230億[3]コロンビア・ペソ (COL$)

GDP(MER
合計(2020年)2715億5400万[3]ドル(44位
1人あたり5,390.921[3]ドル

GDP(PPP
合計(2020年)7290億6000万[3]ドル(31位
1人あたり14,473.399[3]ドル

独立
 - 宣言
 - 認可スペインから
1810年7月20日
1819年8月7日
通貨コロンビア・ペソ (COL$)(COP
時間帯UTC-5 (DST:なし)
ISO 3166-1CO / COL
ccTLD.co
国際電話番号57

コロンビア共和国(コロンビアきょうわこく、スペイン語: Republica de Colombia)、通称コロンビアは、南アメリカ北西部に位置する共和制国家である。東にベネズエラ、南東にブラジル、南にペルー、南西にエクアドル、北西にパナマと国境を接しており、北はカリブ海、西は太平洋に面している。南アメリカ大陸で唯一、太平洋と大西洋の2つの大洋に面した国である。首都はボゴタ

コロンビアは非常に多様な環境と文化、民族(88の部族と200の言語集団)を持つ国であり、ヨーロッパからの入植者、アフリカ人の奴隷の末裔、ヨーロッパ人が渡来する前からの先住民族が混在している。ヨーロッパ、中東アジアからの移民19世紀から20世紀の間に多く移住した[4]

コロンビアでは1960年代から政府軍左翼ゲリラ極右民兵の三つ巴の内戦が50年以上も続いている。1980年代から1990年代には麻薬戦争による暴力が横行[注釈 1]し、世界で最も危険な国の1つとなった[注釈 2]。しかし、21世紀以降、コロンビアは劇的な治安の回復に成功し、アメリカ大陸における主要国と位置づけられている[注釈 3]

コロンビアの人口は、ブラジル、メキシコに続いて、ラテンアメリカで第3位である。世界的なコーヒー豆の産地として知られるほか、エメラルドの産出量は世界一であり、温暖な気候と豊富な日射量を活かしたバラカーネーションなどの栽培と切り花の輸出にも力を入れている。ラン国花である。

コロンビアはNATO唯一のラテン系パートナーであり、38のOECD加盟国の1つである[5]2020年フォーブス誌が退職後の移住先として推薦する国々のリストに、コロンビアもランク入りした[6]
国名

正式名称は、Republica de Colombia [re?puβlika de ko?lombja]. 通称Colombia。

公式の英語表記は、Republic of Colombia [r??p?bl?k ?v k??l?mbi?, k??l?mbi?] . 通称Colombia。

日本語の表記は、コロンビア共和国。通称コロンビア。漢字による当て字は、哥倫比亜、もしくは古倫比亜である。

国名は直接的にはアメリカ大陸の発見クリストーバル・コロン(コロンブス)に由来し、アメリカが「アメリゴの土地」を意味するように、コロンビアは「コロンの土地」を意味する。植民地時代はスペイングラナダに由来したヌエバ・グラナダ(新グラナダ)と呼ばれ、独立後も1858年までこの名称を使用していた。コロンビアの名称を最初に使用したのはベネズエラの独立指導者フランシスコ・デ・ミランダであり、ミランダが新大陸を示す名称としてコロンビアを用いた。1819年に解放者シモン・ボリバルは南米統一国家の国名にこの名称を用い、ベネズエラとヌエバ・グラナダの連合国家の名称としてコロンビア共和国(後世グラン・コロンビアと呼ばれる)が採用された。1831年にヌエバ・グラナダ共和国として独立した後、1858年にはグラナダ連合、1863年にはコロンビア合衆国と国名を変え、1886年に現行のコロンビア共和国の名称が最終的に定まった。
歴史詳細は「コロンビアの歴史」を参照
先コロンブス期エル・ドラード伝説を生み出したムイスカ人の黄金の筏「先コロンブス期」も参照

紀元前1450年ごろに、ボゴタ近郊のエル・アブラ(スペイン語版、英語版)の遺跡で先史文化の萌芽が見られる。中央アメリカから渡ってきた諸族の影響が大きくトウモロコシも彼らによって持ち込まれた。サン・アグスティンの遺跡も恐らく彼らによるものだと思われている。紀元前1000年インディオのグループは南アメリカでインカ帝国に次いで最も優れていたといわれる行政システムであったカシケ(Cacique、Cacicazgos)と呼ばれる首長による一種の首長制[要曖昧さ回避]国家群を発展させた。その好例をチブチャ系 (Chibcha) のムイスカタイロナ、カリマ(スペイン語版、英語版)、キンバヤ(スペイン語版、英語版)、シヌーなどの部族とその文化に見ることができる。紀元前300年ごろ、現在のニカラグアに相当する地域からチブチャ系の人々が渡って来てからは、彼らを中心に独自の文化が育まれた。特にボゴタ盆地に居住していたムイスカ人はトウモロコシとジャガイモを栽培し、カピバラの一種を家畜化して、生産物を低地民のコカ木綿と交換することにより生計を立てていた。
スペイン植民地時代「スペインによるアメリカ大陸の植民地化」および「スペインによるコロンビアの征服(スペイン語版、英語版)」も参照クリストファー・コロンブスアメリカ大陸上陸


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