コロンビア大学
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また政治学科が世界で最初に設置されているほか、人類学科は米国初の設置である。キャンパス中央に位置するロウ記念ホール (Low Library)

伝統的に地域研究に力を入れており、米国の対外政策にも大きな影響を及ぼしてきた。7つの地域研究所と12の研究センターで全世界を網羅し、地域研究所の数としては全米最多である。アジア地域専門のウェザーヘッド東アジア研究所、その上位機関の国際公共政策大学院、ロシア研究拠点として米国最大規模のハリマン研究所などには世界各地から研究者が集まっている。また、アメリカで唯一日本経済を専門とする日本経済経営研究所がある。

人文学研究では、イディッシュ語を中心とするユダヤ文化研究、映画理論を中心とする表象文化研究などの分野で世界的に著名な研究者を数多く擁する。また、1912年にジョーゼフ・ピューリツァーの寄付により設立されたジャーナリズム大学院は、アイビー・リーグ唯一のジャーナリズム大学院である。ピューリッツァー賞の選考委員会も同校に設置されており、毎年4月にキャンパスで受賞者が発表される[13]

世界各国で国家元首となった卒業生が多く、毎年9月、国連総会が開催される時期に各国の大統領、首相、外相等をキャンパスに招待したシンポジウムが開催されている。一方で伝統的にリベラルな校風でも知られており、1968年に起こった大学紛争(en: Columbia University protests of 1968)は、1968年に全米で学園紛争が拡大するきっかけとなった。

大学のマスコットは獅子。ロゴはイギリスの国章に着想を得ており[14]、1910年頃から使われている。大学のロゴである王冠はキングズ・カレッジ時代から引き継がれた。

校訓は「汝の光によって我等は光を見る」(In Thy light shall we see the light)。旧約聖書詩編36編9節の一節から取られている。
著名な関係者詳細は「コロンビア大学の人物一覧」を参照ロウ記念ホール前のアルマ・マーテル像

大学の公式発表によると、1901年から2023年までにノーベル賞を受賞した教員や卒業生は87人にのぼる(en:List of Nobel laureates affiliated with Columbia University)。2000年以降の受賞は以下20人である[5]。また2024年の時点でコロンビア在籍中の教員に、受賞者は10人いる[5]

化学賞 - ウィリアム・ノールズ(2001年)、ロバート・グラブス(2005年)、マーティン・チャルフィー(2008年)、ロバート・レフコウィッツ(2012年)、ヨアヒム・フランク(2017年)、ルイ・ブラス(2023年)、計6人

経済学賞 - ジェームズ・ヘックマン(2000年)、ジョセフ・E・スティグリッツ(2001年)、エドムンド・フェルプス(2006年)、アルヴィン・ロス(2012年)、計4人

医学・生理学賞 - エリック・カンデル(2000年)、リチャード・アクセル(2004年)、リンダ・バック(2004年)、計3人

物理学賞 - ジョン・C・マザー(2006年)、アーサー・アシュキン(2018年)、ジョン・クラウザー(2022年)、計3人

平和賞 - スティーブン・シュナイダー(2007年)、バラク・オバマ(2009年)、計2人

文学賞 - オルハン・パムク(2006年)、ルイーズ・グリュック(2020年)、計2人

また、2010年にノーベル平和賞を受賞した劉暁波は客員研究員として滞在中の受賞だった[15]。このほかアメリカ科学院賞の受賞者が43人、アメリカ芸術科学院賞の受賞者は143人。

人文、芸術分野でも高い評価を受けている。ピュリッツアー賞受賞者は90人超にのぼり[16]、女性初のアカデミー監督賞受賞者のキャスリン・ビグローをはじめ、28人がアカデミー賞を受賞している。このほか、芸術分野の著名出身者では、歌手のアート・ガーファンクル、SF作家のアイザック・アシモフ、詩人のアレン・ギンズバーグ、作家のポール・オースター、映画監督ジム・ジャームッシュなどがいる[17]
日本との関わりキャンパス中央部で行われる卒業式

早くから北米におけるアジア地域研究の拠点として名高く、数多くの日本研究者を輩出した。1928年には角田柳作により日本文化研究所が設立されており、日本学者のドナルド・キーンは同研究所で教育を受けたのちコロンビア大学で長く教鞭をとって多くの日本研究者を育てた。また、同じく角田の弟子で、日本史家のハーバート・ノーマンは、三笠宮崇仁親王の家庭教師を務めている[18]

英語圏の古典的日本文化論『菊と刀』(1946年)の著者である文化人類学者ルース・ベネディクトは、コロンビア大学で博士号を取得し、晩年まで教鞭を執った[19]。また1949年の「シャウプ勧告」により戦後日本の税制の基礎を築いたカール・シャウプは、来日時に経済学部の教員を務めていた。

このほか、日本文学研究のエドワード・サイデンステッカー、日本政治論のジェラルド・カーティス、日本近代史のキャロル・グラック、日本経済論のヒュー・パトリックなどが教壇に立って、英語圏における日本研究にきわめて大きな影響を及ぼした。

日本と深い関係を築いてきた歴史から、伝統的に日本からの研究滞在や留学生を数多く受け入れている。1950年代には鈴木大拙が長期滞在し、禅思想の教育、研究を行って、米国における東洋思想の重要な発信拠点となった。日本人初のノーベル賞受賞者である湯川秀樹も、コロンビア大学助教授在職中の受賞である。フィールズ賞受賞者の広中平祐森重文も数学科に滞在して研究を行った。

こうした傾向は現在でも受け継がれていて、アイビーリーグの中でも日本からの留学生が比較的多いことで知られる。とくにビジネススクールと公共政策大学院は、政界・経済界・中央官庁などから毎年多くの派遣者を受け入れている。[20]

そのほかタレント、政治家などのコロンビア卒業生は「コロンビア大学の人物一覧 ─ 主な日本人の出身者」を参照。
日本の教育機関との関係日本文学などアジア研究が主に行われるケント・ホール

コロンビア大学と同じく英国国教会(イングランド国教会)を源流とする立教大学との関係は古く、立教大学の創設者であるチャニング・ウィリアムズは、1867年(慶応3年)にコロンビア大学から神学博士号が授与されている[21]ジェームズ・ガーディナーの後任として立教学校(現・立教大学)の校長を務めたテオドシウス・ティングはコロンビア大学で学んだ。

立教学院理事長を務めたジョン・マキムが1898年(明治31年)に創設した青葉女学院では、コロンビア大学の幼児教育専門課程を経た教授陣によって教育が行われ、日本に先端的な幼児教育がもたらされた[22]


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