コロムビア映画
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日本の多国籍コングロマリットであるソニーグループの子会社でありアメリカの主要映画スタジオ「ビッグ5」の一つであるソニー・ピクチャーズ エンタテインメントの部門モーション ピクチャー グループの一員である。

1918年6月19日、ジャックとハリー・コーン兄弟とビジネスパートナーのジョー・ブラントによって、コーン・ブラント・コーン(CBC)フィルム・セールス・コーポレーションとして設立され、1924年にコロンビア・ピクチャーズに改名した。1990年以降、カリフォルニア州カルバーシティの旧MGMスタジオ(現在はソニー・ピクチャーズ・スタジオ)の敷地内にあるアーヴィング・タルバーグ・ビルディングに本社を置いている。
概要
設立

映画会社のユニバーサル・ピクチャーズで働いていたジャック・コーン、ジョー・ブラント、ジャックの弟のハリー・コーンが自分たちの映画会社を設立しようと独立。短編映画の製作から始まり、1920年にCBC Film Sales Corporationを創設。1924年にCBCを「コロンビア」に改名した。

1929年の大恐慌で中小のスタジオは潰れたが、1933年から社長になったコーンと映画監督のフランク・キャプラは『或る夜の出来事』('34)、『オペラハット』('36)、『スミス都へ行く』('39)を成功させ、後発で弱小のコロンビアがメジャー会社の一つに数えられた。1968年、コロンビアはスクリーン ジェムズと合併。Columbia Pictures Industries, Inc.になった。1982年、アメリカの飲料大手コカ・コーラが6億9200万ドルでコロンビアを買収した。1983年トライスター ピクチャーズがコロンビアとHBOCBSが出資して創設された。
ソニー傘下へ

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1989年には日本の家電大手のソニーが、豊富なコンテンツを入手することを目的に48億ドルで買収した。しかし、この頃の日本はバブル景気を背景にした「外国資産の買いあさり」と日米経済摩擦の時期に重なったことや「映画はアメリカの魂」と言われていたこともあり、この買収を巡ってはアメリカ国内で激しいジャパンバッシング(日本叩き)が起きた。一例として、アメリカの週刊誌である「ニューズウィーク」は『日本、ハリウッドを侵略』とのタイトルで後述のコロンビアレディに着物を着させて芸者に扮した表紙を掲載した[注 1][3][4]

買収当初に経営を任せたのはピーター・グーバー(Peter Guber)とジョン・ピーターズ(John Peters)だった。

当時、大手映画会社は複合企業の傘下にあった。そこのトップ、例えばスティーブ・ロス(ワーナー)やルー・ワッサーマン(MCA)、チャールズ・ブルードーン(ガルフ&ウェスタン)が超大物と目されていた。これと別の実力者としては芸能エージェンシーのトップ、例えばマイケル・オーヴィッツがいた。

コロンビアを買収したソニーは経営にオーヴィッツを招こうとしたが失敗した。ここでCBSレコードのウォルター・イエトニコフが、その年に世界最大のヒット作を製作したグーバー&ピーターズを経営者に推薦した。

イエトニコフが両者を推薦した背景には、ライバルたちの存在もあった。ソニーに買収される前のCBSはテレビ局傘下だったのに対し、デビッド・ゲフィン(ワーナー)やアーヴィング・アゾフ(MCA)は親分の筋からハリウッドにも顔が利いたし、自分の会社を持っていたため収入でイエトニコフは差をつけられていた。盛田や大賀が傍にいないため調子に乗ったともされる。

問題はグーバー&ピーターズはワーナーと五本の映画を製作する契約を済ませていたことだった。これはスティーブ・ロスの面子を潰す行為であり、ロスは報復として10億ドルの訴訟を起こした。


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