コルカタ
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インドの行政中心となったカルカッタにおいては、居住する大地主や下級官僚などの知識階級が成長し、彼らを担い手としてベンガル文化復興の流れが生まれ、ベンガル・ルネッサンスとも称される文化の黄金期を迎えた。この流れの中で、アジア初のノーベル文学賞を受賞したラビンドラナート・タゴールなど多くの文化人をカルカッタは輩出した。この時期にはインドのイギリス支配の中心都市として、1905年に建設が開始され1921年に完成したヴィクトリア記念堂など多くの建物が建設され、一部は現在でも使用され貴重な文化遺産となっている。また、ジュート綿花の輸出が盛んとなり、これらの集散地となったカルカッタは経済的にも繁栄した。また、綿花やジュートをもとにした繊維工業もこのころから盛んとなった。1910年代に入ると、ビハール州オリッサ州で鉄鉱山などの金属資源が発見され、これをもとに市の南部などにおいて金属・機械工業も立地するようになった[6]

しかし、こうした文化の興隆はやがて民族運動と結びつき、反英運動が盛んとなっていった。この動きを牽制するために1905年にはベンガル分割令が発布されベンガルはイスラム教徒とヒンドゥー教徒の地域に大まかに分割されることとなったが、この法令は強い反発を巻き起こし、1906年にはインド国民会議コルカタ大会で反英姿勢はさらに強まった。この動きを見たイギリス政府は分割令を撤回したものの、反英運動の強いカルカッタを嫌って、1911年に都はデリーへと移された。ただし、イスラム教徒とヒンドゥー教徒は一枚岩というわけではなく、1926年4月、両教徒は宗教行事をきっかけに衝突。やがて暴動に発展して死者20人、負傷者150人を出す被害が出ている[7]

しかし、その後もカルカッタは反英運動の一中心であり続け、日本に亡命したスバス・チャンドラ・ボースラース・ビハーリー・ボースなど、ガーンディーとは異なる武装闘争を標榜する独立運動家を多数輩出した。BOSEの創始者であるアマー・G・ボーズの父であるノニ・ゴパル・ボースも当地から亡命した独立運動家である。第二次大戦中は、1942年から1944年にかけて市街と港が日本軍によって数回爆撃された(カルカッタ爆撃)。[8][9]
インド独立後1945年のコルカタ港

第二次世界大戦後、インド独立は現実のものとなるが、インド独立に果たした役割の大きさにもかかわらず、独立はコルカタにとって大きな苦難をもたらした。コルカタの属するベンガル地方は、分離独立を巡って激しい対立が起こった。

1946年8月16日、イスラム教徒の指導者であるムハンマド・アリー・ジンナーは「直接行動の日」を呼びかけ、ヒンドゥー教徒に対する示威を行おうとしたが、参加した民衆は暴徒化し、カルカッタでは両教徒の武力衝突が起きて数千人が死傷した。この事件はカルカッタ虐殺とも呼ばれる。この事件ののち、カルカッタで共存していた両教徒は明確な住み分けを行うようになった[10]

1947年にインドが独立すると、その後は西ベンガル州の州都になった。この分離独立の際、イスラム教徒の多い東パキスタンからヒンドゥー教徒の難民が多数カルカッタへと流れ込み、600万人ともいわれるベンガル難民の多くがカルカッタ郊外や空地へと定住した[11]。また、分離独立によって大きな後背地であり原料供給地でも市場でもあった東パキスタンが失われ、経済的に大きな打撃を受けた。さらに原料供給地から切り離された工業施設は老朽化が進み、難民の増大や社会不安の増加、多発するストライキを嫌った企業がカルカッタからボンベイなど他都市へと移転し、さらに経済の地盤沈下が加速した。また、1977年から2011年まで長らく西ベンガル州で政権を担ったのはインド共産党マルクス主義派だったことも資本の逃避を招いた[12][13][14]。それにフーグリー川のシルトの堆積によるカルカッタ港の機能低下も加わり、1980年代には都市圏の規模においてもボンベイに抜かれた。2000年代に入るとデリーにも抜かれることとなるもインドのITブームによって経済は停滞から抜けつつある[15]
気候

コルカタはサバナ気候に属し、乾季雨季が明瞭に分かれる。乾季はさらにと呼ばれる冷涼な乾季と、暑季と呼ばれる暑く乾いた季節とに分かれ、コルカタの季節は乾季・暑季・雨季の3つの季節に分かれている。10月から3月上旬までは乾季であり、最も気温が低くなる。冬とも呼ばれるが、冬といってももっとも寒い12月及び1月の平均気温は20℃であり、北のデリーのように氷点下を記録したようなこともなく、非常に過ごしやすい気候となり、観光のベストシーズンとなっている[16]。3月下旬から5月までは暑季であり、4月から6月までの平均気温は30℃を超える。6月から9月にかけては雨季であり、ベンガル湾方面よりやってくるモンスーンによって大量の降雨がある。コルカタの降雨のほとんどはこの4か月間にもたらされる。気温は暑季に比べてもほとんど下がらず、湿度が上昇する。コルカタの最高気温記録は43.3℃、最低気温記録は8.1℃である。年間平均雨量は1800mmである。

コルカタ (1971年?1990年)の気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
最高気温記録 °C (°F)32.6
(90.7)36.4
(97.5)39.4
(102.9)41.5
(106.7)43.3
(109.9)43.0
(109.4)39.7
(103.5)35.5
(95.9)36.2
(97.2)35.3
(95.5)34.3
(93.7)32.3
(90.1)43.3
(109.9)
平均最高気温 °C (°F)26.4
(79.5)29.1
(84.4)33.5
(92.3)35.3
(95.5)35.4
(95.7)34.0
(93.2)32.3
(90.1)32.1
(89.8)32.4
(90.3)32.3
(90.1)30.3
(86.5)27.0
(80.6)31.7
(89.1)
日平均気温 °C (°F)20.1
(68.2)23.0
(73.4)27.6
(81.7)30.2
(86.4)30.7
(87.3)30.3
(86.5)29.2
(84.6)29.1
(84.4)29.1


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