コムネノス王朝
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なお、アンドロニコスの孫アレクシオスとダヴィドはアンドロニコス1世が殺されたときに母に連れられてコンスタンティノポリスからグルジアの
タマル
の宮廷へ逃げ、
1204年
の第4回十字軍によるコンスタンティノポリス陥落の後に、小アジア北東部のトレビゾンド(現在のトルコ・
トラブゾン
)を都として
トレビゾンド帝国
を建国、皇帝を宣言した(
アレクシオス1世
)。トレビゾンド帝国は
1461年
に
オスマン帝国
に滅ぼされるまで、東ローマ帝国本体よりも長く存続した。
コムネノス王朝皇帝一覧
アレクシオス1世コムネノス
(1081年 - 1118年) :
イサキオス1世コムネノス
の甥
ヨハネス2世コムネノス
:あだ名は「カロ・ヨハネス」(善良なヨアンネス)(1118年 - 1143年) : アレクシオス1世の長男。1092年に父の共同皇帝とされた。
マヌエル1世コムネノス
(1143年 - 1180年) : ヨハネス2世の四男
アレクシオス2世コムネノス
(1180年 - 1183年) : マヌエル1世の息子
アンドロニコス1世コムネノス
(1183年 - 1185年) : アレクシオス1世の三男イサキオスの次男
系図
文献
[3]
[4]
をもとに作成。
イサキオス1世
ヨハネス
アレクシオス1世
エイレーネー・ドゥーカイナ
(
アンドロニコス・ドゥーカス
娘)
アンナ
(歴史家)
=ニケフォロス・ブリュエンニオス
エイレーネー
(
ハンガリー
王
ラースロー1世
娘)
ヨハネス2世
イサキオス カタ
(グルジア王女) テオドラ コンスタンティノス・アンゲロス
アレクシオス アンドロニコス イサキオス
エイレーネー
マヌエル1世
マリー・ダンティオケ
(
アンティオキア
女公
コンスタンス
娘) フィリッパ
アンドロニコス1世
アンゲロス王朝
ヨハネス
テオドラ
=
オーストリア
公
ハインリヒ2世
エイレーネー
マリア
=ハンガリー王
イシュトヴァーン4世
テオドラ
=
エルサレム
王
ボードゥアン3世
エウドキア
=モンペリエ領主ギレム8世 マリア
=
モンフェッラート
侯子ラニエリ
アレクシオス2世
アニェス
(
フランス
王
ルイ7世
娘)
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