氏名代行時期前職等その他 日本プロ野球のコミッショナーはメジャーリーグベースボールのコミッショナー(MLBコミッショナー)同様、オーナー等球団経営者の承認を受けて就任するものであるが、MLBのコミッショナーが強い権限を持ち各球団を公平に扱うシステムが確立されているのに対し、日本の場合は最終決定権を持つオーナー会議の立会人という側面が強い[4]。1978年の江川事件を江川卓と小林繁の交換トレードで決着させた6代目の金子鋭は、裁定を下す権限がなかったため「強い要望」という形で提案しその後責任をとって辞任した[4]。また2004年のプロ野球再編問題の際に指導力を批判された根來泰周も、権限の限界について再三言及している[4]。 2004年のプロ野球再編問題を受け、「日本にもメジャーリーグ並みの権限を有し、実際に行使できるコミッショナーを待望する」という声が強まった。 これに呼応して根来コミッショナーの下にプロ野球有識者会議が設置され、コミッショナー権限の司法的機能から行政的機能への移行、セパ両リーグ事務局のコミッショナー事務局への統合など、『野球組織の「中央集権化」「責任体制の確立」[5]』を提言。これを受け、2009年1月1日付でセ・パ両リーグ事務局を統合し、リーグ会長職を廃止。監督・コーチ・選手に対する退場処分などの制裁はコミッショナー名で課すことになった。
根來泰周2007年1月 - 2008年6月第11代コミッショナーコミッショナー後任が決まらなかった為のもの
宮内義彦2013年10月 - 2013年12月オリックス野球クラブオーナー2013年10月25日に統一球問題で第12代コミッショナーの
加藤良三が引責辞任したことに伴うもの[3]
コミッショナーの権限
改革
参考文献
斉藤直隆『プロ野球に関わる生き方』アスペクト、2006年7月
脚注
注釈^ このときは3人の合議制「コミッショナー委員会」として宮沢が委員長を務めた。その他に金子鋭、清原邦一がコミッショナー委員だったが、清原が健康上の都合(1967年11月11日没)で途中交代。中松潤之助
^ 2007年1月から2008年6月までは「コミッショナー代行」。
出典^ 熊崎コミッショナー「明朗な社会に貢献へ自らも明るく」
^ “「新コミッショナーに斉藤惇氏 前日本取引所グループCEO オーナー会議で選出”
表
話
編
歴
日本野球機構コミッショナー
福井盛太 1951 - 1954
井上登 1956 - 1962
内村祐之 1962 - 1965
宮澤俊義 1965 - 1971
大濱信泉 1971 - 1976
金子鋭 1976 - 1979
下田武三 1979 - 1985
竹内壽平 1986 - 1988
吉國一郎 1989 - 1998
川島廣守 1998 - 2004
根來泰周 2004 - 2007
加藤良三 2008 - 2013
熊ア勝彦 2014 - 2017
斉藤惇 2017 - 2022
榊原定征 2022 -