アメリカのニュースペーパー・コミック・ストリップは日本の新聞漫画とは異なり、特定の新聞に特定の一本の漫画のみが連載されることはなく、シンジケーションにより各新聞社に配信された複数の漫画作品が、専用の漫画セクション[注釈 2]に連載される。また、コマの数も4コマとは決まっておらず、作品によってはエピソードによってコマの個数が変動することもある。 デイリー・ストリップとは、日曜版に掲載されるサンディ・ストリップに対し、月曜から土曜までの新聞紙上で掲載される新聞漫画である。通常のデイリー・ストリップは白黒印刷であるが、二十世紀後半以降に創刊されたいくつかの新聞では、カラーのデイリー・ストリップが掲載されている。横長の端切れ(ストリップ)状に並べられた正方形か円形、あるいは縦長の長方形のコマ(パネル)が、主要な形式である。必ずではないが、普通の「ストリップ(コマ漫画)」は幾つかの小さなコマに分割され、コマからコマにわたり連続している。これも必ずではないが、普通の「パネル(一コマ漫画)」は分割されることはなく、連続性も持っていない。『ピーナッツ (漫画)』はストリップであり、『わんぱくデニス[注釈 3]』はパネルである。 初期のデイリー・ストリップは大きく、しばしば新聞紙面の横幅一杯を使って掲載されており、多くの場合は3インチ以上の縦幅があった。最初は、新聞の一ページには一本のデイリー・ストリップしか掲載されておらず、通常はページの上端か下端に配置されていた。1920年代までには、多くの新聞が複数の漫画を揃えた一ページの漫画欄を持っていた。長年の内にデイリー・ストリップは徐々に小さくなり、2000年までには、1本のデイリー・ストリップに占領されていた紙幅に、4本の標準的なデイリー・ストリップが収められるようになった。 ニュースペーパー・エンタープライズ・アソシエーション・シンジケート ほとんどのコミック・ストリップの登場人物は、その連載期間にかかわらず年を取ることはない。しかし、リン・ジョンストン
デイリー・ストリップ
特徴
コミック・ストリップの歴史には、ユーモラスな作品だけでなく、ドラマティックなストーリーが展開する作品も含まれている。例を挙げれば、『ザ・ファントム』『プリンス・バリアント(英語版)』『ディック・トレイシー』『メリー・ワース(英語版)』『モデスティ・ブレイズ(英語版)』、そして『ターザン』などの作品がある。これらのドラマティックなコミック・ストリップは、『スーパーマン』や『バットマン』、『アメイジング・スパイダーマン』など、いくつかはアメリカン・コミックからのスピンオフ作品であった。
これまでこの記事で言及されたすべてのコミック・ストリップは、人間を物語の中心に据えているが、多くの漫画が主な登場人物として動物も含めている。これらの作品には、登場する動物が言葉を喋れないもの(『サーフィン ドッグ』)、言葉を喋るが人間には理解できないもの(『ガーフィールド』、『ピーナッツ』のスヌーピー)、人間と動物が会話することができるもの(『ブルーム・カウンティ(英語版)』、『ゲット・ファッジー(英語版)』、『フィリックス・ザ・キャット』)がある。これら以外に『ポゴ(英語版)』や『ドナルドダック』などの漫画は、完全に動物を中心に据えている。ゲイリー・ラーソン(英語版)の『ファー・サイド(英語版)』は、主要登場人物が存在しないという点でユニークだった。『ファー・サイド』ではその代わりに、人間、怪物、宇宙人、ニワトリ、ウシ、虫、アメーバその他の様々なキャラクターが登場する。ワイリー・ミラー(英語版)は人間と動物や架空のキャラクターの混交だけでは飽き足らず、幾つもの異なる漫画を一つのタイトル『ノン・セクィトゥル(英語版)』の下に連結させた。1972年から開始されたボブ・セイヴス(英語版)の『フランク・アンド・アーネスト(英語版)』は、動物や野菜、鉱物他の姿をした人間のようなキャラクターが登場する、一群の漫画の先駆けとなった。 コミック・ストリップは長年にわたって社会を映す鏡であり続け、ほとんどその開始から政治的あるいは社会的な論評に用いられてきた。この範囲は『小さな孤児アニー』の固い保守主義から、『ドゥーンズベリー』の野放図なリベラリズムにまで及ぶ。前述した『ポゴ
社会的および政治的影響
またケリーは、コミック・ストリップという表現媒体をマッカーシー時代の政府規制から可能な限り守り抜いた。性的かつ暴力的かつ反政府的な内容を持つと考えられたアメリカン・コミックが非難されていた当時において、ケリーは同様の非難がコミック・ストリップに対しても持ち上がることを懸念した。米国議会小委員会の前で、ケリーは彼のイラストと人間性によって委員達を説得し、コミック・ストリップは風刺の手段として安全圏に置かれた。
『ドゥーンズベリー』や『ブーンドックス』のような政治的論評を主題とした幾つかのコミック・ストリップは、しばしば漫画欄ではなく社説欄や論説欄に印刷される。保守的な層は長期にわたって『ドゥーンズベリー』に反対し続けており、最近では日曜版の漫画ページを担当している大手印刷会社にこの漫画の印刷を拒否させることに成功した。別の例として、社内政治(英語版)を扱う漫画『ディルバート』は、しばしば新聞のビジネス欄に印刷される。
世界最長のコミック・ストリップは、ロンドン・コメディ・フェスティバルの一部としてトラファルガー広場に展示された88.9メートルの漫画である。フロリダで展示された81メートルの漫画がこれ以前の世界記録であった。ロンドンのコミック・ストリップは15人の著名なイギリス人漫画家によって制作され、ロンドンの歴史を描写している。
漫画家ルーブ・ゴールドバーグ(英語版)の名にちなむリューベン賞(英語版)は、アメリカ合衆国のコミック・ストリップ作家にとって最も栄誉ある賞である。リューベン賞は全米漫画家協会(英語版)(NCS)から、毎年寄贈される。
NCSの援助により、今日のコミック・ストリップ作家達は、市場縮小と新聞紙面でのスペース削減による衰退途上にあると考えられているこの表現媒体の熱心な宣伝活動を行っている。これらの宣伝活動の特にユーモラスな一例が、1997年のエイプリル・フールに行われたザ・グレート・コミック・ストリップ・スイッチャルーニー(英語版)である。この日、大勢の有名コミック・ストリップ作者達が、互いの執筆する漫画を交換した。例えば、『ガーフィールド』のジム・デイヴィスは『ブロンディ』のスタン・ドレイク(英語版)と、『ディルバート』のスコット・アダムスは『ファミリー・サーカス(英語版)』のビル・キーン(英語版)と漫画を交換した。1996年には合衆国郵便局が、コミック・ストリップ百周年の記念切手「コミックストリップクラシック(英語版)」を発行することで宣伝活動に協力した。
スイッチャルーニーは一回限りの宣伝企画であったが、漫画家が別の作者により創造された作品を描き継いでいくのは、アメリカン・コミック業界と同様に、アメリカの新聞漫画の伝統でもある。事実この習慣のお蔭で、様々なジャンルの人気漫画が数十年に渡って連載を続けられるようになった。これらの作品の例としては、ハロルド・グレイ (漫画)(英語版)によって1924年から1944年まで執筆され、その後はレオナルド・スターやアンドリュー・ペポイ(英語版)らの漫画家によって描き継がれている『小さな孤児アニー』や、ミルトン・カニフ(英語版)によって1934年に開始され、ジョージ・ヴンダー(英語版)に代表される一連の作者に引き継がれた『テリーと海賊(Terry and the Pirates)』がある。
ビジネス上の要請によるスイッチの一形態として、同じ内容の作品が別の題名によって続けられることもある。一例として、1940年代初期のドン・フラワー(英語版)の『モデスト・メイデンズ』は、ウィリアム・ランドルフ・ハーストの関心を惹きつけ、二倍の原稿料によってAP通信からキング・フューチャーズ・シンジケート(英語版)に引き抜かれ、AP通信からの法的措置を回避するために『グラマー・ガールズ』と改題された(一方『モデスト・メイデンズ』は、フラワーの画風をそっくり模倣したジェイ・アレン(英語版)によって描き継がれた)。
現在では伝統的な新聞漫画のほとんどが、インターネット上の公式サイトを持っている。シンジケートはしばしばそれらのウェブサイトで、最近の作品のアーカイブを公開している。『ディルバート』の作者スコット・アダムスが自分の各作品にEメールアドレスを記述した事により、この流行が始まった。 コミックストリップは「時事新報」や「新青年」などの第二次世界大戦前の日本の新聞や雑誌に翻訳掲載された。1923年から「アサヒグラフ」に掲載されたジョージ・マクマ
日本漫画への影響
また、「アサヒグラフ」に連載された最初期の児童漫画の一作である『正チャンの冒険』(1923年)は、イギリスのデイリー・ミラー紙に連載されていた子供向けのコミック・ストリップ『ピップ・スクウィーク・アンド・ウィルフレッド(英語版)』(1919年)に触発されて執筆された作品である。