コミックマーケット
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^ アキバ総研 (2010年12月29日). “ ⇒コミックマーケット79(C79)開催! 冬コミとしては過去最高規模の人出”. 2011年2月7日閲覧。
^ 一日当たりの入場者が10万人を超える屋内イベントは、日本ではコミックマーケットのみである。東京ゲームショウは2011年で最大83,744人(最終日・過去最大)、東京モーターショーは2009年で最大73,400人(9日目)
^ withnews編集部. “「天皇決戦」叫んだ中核派、今はコミケ出展 ブースで売っていたもの”. withnews.jp. 2022年8月6日閲覧。
^ “夏コミ目前!コミケが舞台になったアニメ10選特集 。駿河屋オフィシャルブログ”. www.suruga-ya.jp. 2024年1月25日閲覧。
^ Cheapo, Tokyo. “Summer Comiket 2024 。Tokyo Cheapo” (英語). https://tokyocheapo.com/. 2024年1月25日閲覧。
^ 「『じゃ、同人誌だけを売買する場所を作ればいいじゃない。費用は参加するサークルに頭割りすれば、こっちはそんなにかからないし、やることだって、連絡と宣伝だけだから、手間はかからない。名前はコミックマーケット、略称コミケット!』/明石さんの一言から、ここまで、おそらく15分はかかっていない。天啓のように、一瞬にしてコミケットは誕生した。いや、ふりかえって見れば、その瞬間は、20年の時を超えて、現在に至る全てを胚胎していたと言ってもいい。何の迷いも逡巡もなく決まった、“コミックマーケット”という名称。このマーケットというネーミングがすべてを決めた。」「他のメンバーがどうであったかは知らない。しかし、少なくともコミケットを運営する主体を、コミケット運営委員会でも、実行委員会でもなく、『コミケット準備会』とした時、その底に、コミケットなるものは、いつまでも手の届かない逃げ水になるという、予感は共有していたろう。」亜庭じゅん「明石さんへ――」『コミックマーケット20周年記念資料集』(コミックマーケット準備会 1996年3月17日)420P
^ “登録4224366”. www.j-platpat.inpit.go.jp. 2024年1月25日閲覧。
^ “登録4224364”. www.j-platpat.inpit.go.jp. 2024年1月25日閲覧。
^ “登録4224365”. www.j-platpat.inpit.go.jp. 2024年1月25日閲覧。
^ “【広島コミケ特設サイト】”. 2024年1月27日閲覧。
^ “商標法 。e-Gov法令検索”. elaws.e-gov.go.jp. 2024年1月26日閲覧。
^ a b c dコミックマーケットとは何か? 2014年1月 - コミックマーケット準備会
^ a b c 「『マニア運動体論』は新批評大系の第1期を通じて6回連載された。批評集団として出発し、自らを『運動体』と規定した迷宮の状況認識であり、活動方針であり、宣言でもあった。迷宮というグループの結成後、毎週末ごとの会合での話し合いを基に、メンバーを代表する形で亜庭じゅんが執筆した。従って、公式には執筆は『迷宮』ということになる。『マニア運動体論』6回の連載はコミックマーケットの開始と並行していた。『序説』と『第1回』『第2回』が書かれた時点ではコミックマーケットは構想のみ存在し、姿を見せておらず、続く3回の連載はようやくコミケットが安定していく過程に重なる。『マニア運動体論』は暗中模索で走りだしたコミケットの初期、迷宮=コミケットの共通認識として機能した。亜庭じゅんは殆んど徒手空拳の状況でこの連載を書いたが、COM以後のファン状況を可能な限り批判的に見ることは、新しい道を探るために必要な作業でもあった。この論考は亜庭じゅんにとって新批評大系7年の批評活動を越えて、ダイレクトに後の創作同人誌即売会・MGMの開催に繋がっていくように見える」「マニア運動体論・編注」『漫画批評大系 vol.16 亜庭じゅん大全 A LONG LONG STORY』(迷宮'11 2011年12月31日)477P
^ 『コミックマーケット40周年史』 p.206-209
^ 「立ち上げた時にみずからの活動理念として『マニア運動体論』(本書巻末に序説全文再録)を掲げた『迷宮'75』は、それを『漫画新批評大系』に発表。このなかでコミックマーケットも、『迷宮』の行う『運動』として位置づけている。つまり『マーケット』といっても市場の機能を果たすだけではなく、まんがファンの交流の場としてそれを成立させたうえで、そのような場を持続・発展させていかなければならないと考えたわけである。そのためには参加サークルの協力が欠かせないことから、僕らは参加サークルを集めての『事前集会』や『反省会』を通して主催者及び参加サークルどうしの交流をはかり、お互いが補完関係にあることの認識を深めてもらおうとしたのだ。いや、こう書くと何か堅苦しいが、要はそういう交流を通していろいろなサークルとつながっていくこともまた、コミックマーケットを主催するうえでの大きな楽しみだったのである」霜月たかなか『コミックマーケット創成記』朝日新聞出版(朝日新書)2008年 (Kindle版, 位置No.全2936中 211-218 / 7%。ISBN 978-4022732507)
^ a b c 「現在『マンガ世代』とはそのような自己を没入しうる者であり、オタクとも呼ばれる彼らが主役として迎えられる状況をコミケが作り出してしまった。だが『そういう場を最初に作り出したのはおまえたちではないか』と言われれば、全面降伏はしないまでも迷宮に立つ瀬はない。/しかし亜庭じゅんであれば、話は別だ。迷宮の名前でMGMを主催し、『これこそが迷宮のやろうとしていることだ』と言えば、数のうえではどうであれ、迷宮=MGMとして『迷宮がやろうとしたのはコミケではない』と言い切ることができる。つまりコミケに対して迷宮が裏切ったのではなく、迷宮に対してコミケが裏切ったというわけだ。もちろんそれを言うために亜庭じゅんがMGMを始めたわけではないし、MGM自体コミケを批判こそすれ、敵対するものではなかったが、迷宮の始めた運動を具現するものとして、MGMが存在した意味は少なくない。実体に即してみても、初期のMGMは亜庭じゅんみずからによる『マニア運動体論』の実践であったし、MGMの活動とはまさしく迷宮の活動であった。困難を抱えた小さな運動であっても、その意味においてMGMは、コミックマーケットに対して互角に屹立する即売会であったということが可能なのである。」原田央男「MGMに参加したこともないくせに…あるいは亜庭じゅんについて」『亜庭じゅん大全』(迷宮'11 2011年12月31日)748P

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