コミックマーケット
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開催開始当初は「コミック=マーケット」とダブルハイフン入りで表記していた。この名付け親は、立ち上げ時のスタッフの1人であり防火管理責任者の明石良信である[15]

「コミックマーケット」「コミケット」「コミケ」は、いずれもコミックマーケットの運営法人である有限会社コミケットが1998年商標登録している[16][17][18]

しかし、商標登録前から「○○コミケ」(例 広島コミケ[19])という名称で開催されているイベントは、商標の先使用権によって商標権の侵害とならないため[20]、コミックマーケット以外の同人誌即売会で「コミケ」という名称が使われることがある。
理念

現在のコミックマーケットが、理念として掲げているのは以下の内容である[21]

コミックマーケットは同人誌を中心としてすべての表現者を許容し継続することを目的とした表現の可能性を広げる為の「場」である。コミックマーケットは、サークル参加者、一般参加者、スタッフ参加者、企業参加者等全ての参加者の相互協力によって運営される「場」であると自らを規定し、これを遵守する

コミックマーケットは、法令と最低限の運営ルールに違反しない限り、一人でも多くの表現者を受け入れることを目標とする

コミックマーケットは、全ての参加者に取って「ハレの日」であることを願い、継続を最大の役割として行動する

コミケットの理念は、大まかに2度大きく手を加えられている。

第1期 「迷宮」の理念 - コミックマーケットの創設母体となった批評集団「迷宮'75」が『漫画新批評大系』所収「マニア運動体論・序説」(亜庭じゅん)で発表した内容である[22]。自らが「運動体」であること、まんがファンの、まんがファンによる、まんがファンのための「場の構築に向けた運動」であることを理念とし、コミックマーケットもまた、「迷宮」の行う「運動」として位置付けられた[22][23][24]。ただし、序説が書かれた段階でコミックマーケットは構想のみ存在しており、姿を見せておらず、この時点ではコミックマーケットの理念として、体系的にまとめられたわけではなかった[22]
〔……〕批評者の集団としての迷宮'75は文字どおり、マンガ状況に迷宮をもたらすものとして登場した。

言葉によってマンガに関わっていこうとする意志において一致し現在の一見平穏に見えるマンガ状況に動乱と混迷を注ぎ込み、一切を変革の激流の中へ叩き込むべく活動する。

〔……〕我々は、批評活動の別の側面として、同じ方向性を持つ全ての運動に関わっていく。マンガ空間の拡大の為の一切の活動は我々の内にある。アニメ、演劇、資料整備、各種大会、さらには海外ファンダムとの交流等、そして各種ファン・グループの連絡センター等やるべきことは余りに多い。しかし、我々はそれをやっていかねばならない。状況に対して否という以上、我々はその責任を回避する意識は全くない。ファンダムの現状を幻影として棄て去った今、我々は、自らの手で、そのファンダムを現実に出現させ、一切、幻影のかけらを放逐し、マンガの変革への巨大なうねりを巻き起こさねばならない。

────すべてはここより始まる。だが、序章は序章にすぎない。本論とは、次号より連載される諸々の論考と共々、我々自身の行動そのものによってこそ展開されるであろう。我々ははっきりと予告しておく。

────我々の本論が明らかになる時、マンガ状況は、まさしく変革の嵐の中で、果てしない迷宮となることを!

批評集団 迷宮(ラビリンス)'75 ? 迷宮'75『漫画新批評大系』vol.0 創刊準備号所収「マニア運動体論・序説」から抜粋

第2期 「迷宮」からの自立と分裂騒動 - 初代代表(原田央男)の辞任と共に、コミックマーケットは「迷宮」の手を離れ、1980年から米澤嘉博代表体制となった。準備会の分裂騒動を機に、改めてコミックマーケットの理念が明文化され、1982年夏のC21から、サークル参加者に頒布される『コミケットマニュアル』に収録された。ここで準備会は、まんがに関わるすべての表現を受け入れることを目的として開催の責任は負いつつも、コミックマーケットの生み出すものについては主体的に関わらない立場を明確にした。それは創業者サークル「迷宮」が掲げた「運動体」であることの放棄でもあった[25][26]。その後、1991年のわいせつ図画事件を期に法令遵守を明記するなど、状況に応じた小規模な改訂はあったが、2013年の改訂まで基本的に引き継がれて行くことになる。
米やんが肚(はら)を決めて晴海で背負うことにしたのは、全ての参加希望者を受け入れた上でコミケットを開催し続けること、開催そのものを目的とし、それのみに責任を負う。そして後は全てを棚上げにして成り行きにまかせることだった。〔……〕

米やんが開催すること以外の全てを棚上げにすることに踏み切れたのは、同人誌独自の新しいまんがというコミケットの目的として掲げてきたことを、それに特化したMGMが引き受けていることもあっただろう。MGMがあることで、自分はお祭り騒ぎにコミケットが変質していくことに目を瞑り、自由にファンの遊びに付き合うことができるようになる。〔……〕

コミケットの代表交替、MGMの開始、クーデター騒動、晴海への移動と続く、79年から81年までの2年間の慌ただしい推移の間、自分達で作り出してしまった現実を前にして、改めてその底流で問われていたのは、「同人誌即売会とは何か」そして「自分は何故即売会を開くのか」ということだった。

原田央男は距離を開いてゆくこの二つの問いの間で自分の位置を決めることができずに代表を辞任した。

あにじゅんは離れようとする二つの問いを強引にひとまとめにし、即売会が始まった時の原点に戻ろうとした。

米やんは両方の問いを棚上げにし、意図的に思考停止することで、辛うじて開催の維持を可能にした。三者三様に出した答えの可否を今になって問う気はないが、それが共に「始めたこと」に対する夫々(それぞれ)の責任の取り方だったとは思う。〔……〕 ? 高宮成河「あの頃……雑感」『MGM100カタログ』迷宮'13、2013年1月、27-28頁。

第3期 共同代表体制による再定義 - 2006年に米澤が死去すると、後継となった共同代表(安田かほる筆谷芳行市川孝一)は「自分の言葉で」理念を語るべく、その改訂に着手した。その間、2012年に起こった黒子のバスケ脅迫事件で、警察による同作品同人の頒布自粛の「非常に強い要請」を受け、それを受け入れたことは、コミックマーケットにとって痛恨の事態となった。そして準備会にとっても、場の存続と表現の自由のいずれを取るかが迫られることになった。


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