コマーシャルメッセージ
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この「直接広告」は、番組本編を中断する形でなく、広告をまとめて放送するための専用の番組枠を設けての実施だった[18]1940年4月、日中戦争の激化にともなう経済統制のため、広告で扱う品目が大幅に制限され、やがて放送の自粛にいたった[18]。この満洲電信電話で放送広告にたずさわった人材の多くが戦後の引き揚げ後、新興の民間放送局や広告代理店に移り、CMの契約および制作に関するノウハウを伝えたと考えられている[18]
戦後昭和

戦後、民間放送が解禁された。民間放送の開始日、1951年9月1日には、スポンサー・広告に関わるさまざまな日本(本土)初が続いた。上記にかんがみ、広告主の名称を読み上げるアナウンスを広義のCMに含んだ場合、最初にアナウンスされたスポンサーは中部日本放送が開局アナウンス25分後の6時55分から放送した「服飾講座」における、毛織物店「五金洋品」[21]である。音声記録は残っていない(CBCは、五金洋品は「提供のみで、コマーシャルは流さなかった」としている[22])が、当然、提供スポンサーを示すアナウンスを行ったはずであり、民間放送における公表スポンサー第一号ではある。CBCラジオは、同日の朝7時には精工舎によるスポンサー付き時報の第一号放送も行っている。時計のリズミカルな音による予報音に続き通知音とともに「精工舎の時計が、ただ今、7時をお知らせしました」と報ずるものである[23](CBCでは、この時報を「コマーシャル第1号[22]」としている)。同日正午には、開局アナウンスを行ったばかりの新日本放送でも精工舎の時報が放送された[23]

最初に放送されたスポットCMは、同日の12時15分過ぎに新日本放送(CBC同様、開局日である)で60秒間放送された「スモカ歯磨」のラジオCMとされる[21]。このCMは、ほかのCMが単なる広告コピーの読み上げであったのに比べ、ドラマ仕立ての演出がされていて耳を引いたとされ[24]、まとまった作品としてのCMと認められることから第一号とみなされている。

日本最初の(放送における)コマーシャルソングは、同年9月7日にCBCラジオで初放送された小西六のCMにおける『ボクはアマチュア・カメラマン』である[24](異説もある。コマーシャルソング#歴史を参照)。窓文字による「CMの日」=8月28日の宣伝(電通本社ビル、2005年)

日本最初のテレビCMは日本テレビの開局日・1953年8月28日正午直前に放映された、精工舎の時報CMである[25][26][27]。これはあらかじめフィルムに録画したアニメーションと実写の組み合わせによるCMであったが、スタッフが放送機材の操作に慣れていなかったため、フィルムを裏返しにした状態で放送してしまった。このため時計の画像は左右逆、かつフィルムの場合、映像の左側に音を再生するためのサウンドトラックがあり、フィルムが逆向きになると音が再生されなかったので、音なしの状態で放送された(時報音はフィルムと関係なく挿入されたため正確に出た)[28]。3秒ほどで放送中止となった[26]という定説が長く信じられたが、当時の関係者の証言によりそのまま30秒間放送されたことが明らかになった[28]。同日19時の時報は無事に放映された。この19時の時報CMは現存する日本最古のテレビCM映像であり、インターネットで公開されている[29][30]

精工舎の1950?60年代のCMはフィルム原版は廃棄されたが、テックとセイコーが共同で1987年に制作した「服部セイコーCM集」という10枚組のレーザーディスクにかなりのCMが収録されている[30]

テレビ普及期に至る間に、広告主の専属出演者を用いたCMが主流になった時期(生コマーシャル#テレビ生CMの沿革参照)を経て、1970年代の始め頃には、俳優・歌手などの別に本業を持つ芸能人によるCM出演歴が、人気の度合いを測る指標になるという認識が業界内外でなされるようになり、『週刊現代』1972年2月3日号の記事[31]では「CM出演が、タレントのもっとも有利な副業であることは、いまや常識」と書かれるに至った。やがて、ニホンモニターの「タレントCM起用社数ランキング」、ビデオリサーチの「タレント別テレビCM出稿量上位10人[32]」といった、調査会社による人物単位のCM露出量に関するデータが一般公表されるようになった。

なお、新技術が採用された記念碑的CMについては下記の「#日本のCM技術」節で述べる。
平成以降

テレビ広告費は1990年代半ばで成長を止め、リモコンや録画機器の普及によるCM回避手段の増加、インターネット広告の台頭、リーマンショックなどと相まって、下落の時代に突入した。テレビ局側はCMを見させるため様々な工夫をしたが、逆に反感が集まり、CMを出稿したスポンサー自体への反感にまで至ってしまうなど難しいものとなっている[33]
日本のCM技術
形式

映像や音声の形式は放送波における規格に準じる。ステレオ放送が可能な放送では当然ステレオ音声によるCMが多くなっており、2000年代から5.1サラウンドステレオ音声収録のCMもわずかだが登場した。原則モノラル放送であるAMラジオ局においては、全局ステレオ放送を実施しているradikoFM補完中継局の導入後、ステレオで制作されたCMを放送している。

テレビ放送が開始された当初は生コマーシャル、静止画、そしてフィルムが主流であり、やがてそれに加えてVTRが導入された(後述)。

アナログ放送から地上デジタル放送への過渡期である2000年代後半頃から、アスペクト比16:9のハイビジョンによる制作が多くなった。予算などの都合からハイビジョン画質の実現以降もそのまま4:3の標準画質の映像を継続して放送するため、地上デジタルテレビ放送の画面比に合わせて左右に黒帯(サイドパネル)をつける場合がある。上下左右に黒帯が入る額縁放送となる場合もある。

日本で最初にカラーで放映されたテレビCMは、1959年4月10日の20時より、日本テレビ皇太子明仁親王成婚の様子を放送した特番『このよき日』内で放映されたもの(CMの詳細は不明)だとされる。同番組はカラー放送の実用化へ向けた実験放送の一環で全編カラー制作として放映されたもので、放送の2日前の4月8日に当時の郵政省が番組内でのカラーCM放送を認可し放映が可能になった[34]。しかし、本放送開始前のカラーテレビ試験放送中に放送されたものであったことから、一般には1962年に放映された「トヨタ・トヨペットコロナ」が砂塵を上げながらドラム缶を蹴散らして走行する「スタント・ドライブシリーズ」が初とされる[35]カラー放送を意識して、黄色のドラム缶が登場する。

日本で最初にステレオ音声で放映されたテレビCMは、1978年11月の「住友スリーエム・スコッチメタルカセットテープ『METAFINE』」 で、開始からおよそ1間画面下中央に“(放映局のステレオ放送のロゴ)ステレオCM”と表示された。


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